調子に乗って、笑っています。頭の中身が、空なんです。
 空っぽだから中身は無いです

 なんにもないから なんにも いらないんです。





 父さん僕は、今日も目が覚めました。目が覚める時、意識の片隅でふと、囁き声のように聞こえたコトバ。あぁ、お前はまた、今日もその目を開くのか。
 いい加減に止めたらどうだいつまで続けるつもりだ許されてると誤解して諦念に甘え
 夜が明ける直前の、薄闇にぼんやりと辺りは沈んでいる、まどろみとの境界線上の時間です。
 また開くのか始める気かお前の生きる様今日も
 開こうとする目が痛むのです。
 何だかよくわからないけれど痛いのです。
 僕が今まで見て来た全てのものが、眼球に記録されている全てのものが、そう、押し寄せて、
 も一度、良く見ろと
 何をしてきたか、再びその目で、見てみろと。
 閉じた右目の代わりに、もう片方の眼窩が、何も無いはずの空洞がかっ、と開き、
 暗い、中空の虚を睨みつけています。
 僕はじっとしている。横たわり、未だ目覚めない人のようにじっと。
 目が覚めて、目を閉じる。
 死人の物真似をしている。
 左側の眼窩、ぽっかりと開いた暗闇に浮かぶのは、文字というか、コトバ。
 お前は悪夢そのものだと。
 ひとりぼっちで 暗い穴の底から
 生まれてきたくせに。


 存在理由とか ここに在る意味とか  そんなことを考えるのは全く愚かなことだ
 ひとりひとりがかけがえのない唯一無二のもの この世にたった一つしかない大切な
 そう今ここにこうして横たわっている僕も
 父さん目を開けることができません
 僕はこの世でかけがえのないたったひとつの大切なもの
 あなたが命がけで守ろうとしたそれは尊い
 目を開くのが出来ないんです
 甘えてますか
 駄目な子供ですか
 そんな子供ならいりませんか あなたが望んだのは、最後の希望をたくせるような 墓の中から自力で這い出て来れた様な そんな。
 忘れてしまいたい
 何も考えたくない
 サァ今までお前はその目で一体何を見て来たか。差し込む朝日の訪れと共に、世界に向かって、叫んでみろよ。
 同族殺しの血塗られた両手め、
 共存を願いながらも何一つ叶えられない、無力な偽善者め、
“己”というものが無いが故の無自覚な傀儡は、今日も踊らされる事だけ望んでいる。
 目的の無い空っぽの正義がお前の本質だ。
 墓場から生まれたお前にとって、  何のために正義がある。
 母親の腹をぶち破り生まれてきたお前の、  正・否を分ける基準が 確かなものか。
 それになにより
 そんな奴が どうして誰かを 裁くことが出来るのだ。
 父さん僕を好きですか
 僕はあなたが 大好きです
 生まれてきたとき 最初に見たものは
 この首を絞め、墓石に叩き付ける、怯え惑った人間と、
 さぁ生きろと声を張り上げ、懸命に導こうとする、父親だと名乗るひとつの目玉だった。
 僕より小さな、哀れな姿で。



『にんげんと ようかいとが きょうぞん できる せかいを つくれるのは  おまえだけなんだ』

 はい ぼくは がんばります

 僕が世界を変えたなら、誰かがいつか こう言ってくれる
「お前が居る、だから世界は素敵だ」



 こんなものが送られてきた、と言われている。
 ポストに入っていたのよね。
 彼女の目はまん丸で、光の具合で面白いくらいにくるくる、
 色が、変わる。同じ所にじっとしていられないみたいに。まるではしゃいで。
 こないだまで来ていた悪知恵の良く働く男は近頃、全然姿を見せないな。
 図々しくて厚かましくて。都合によってころころ立場を変える。信頼できないのに何故か憎めない、見ていて僕は楽しかったのに
(また見ていただけかその目で)
(起こること、過ぎてゆく風景に参加しないで、じっと傍観しているだけ)
(だから去って行かれるんだ)
(今こうしている今も既に)
 名前を呼ばれて、あぁ、ハッとする。彼女が僕の名前を呼んだ、鈴を振るような澄んだ声で。
 不思議そうに顔を覗き込んでいる。何だか、変よ。
 変?変って何さ、おかしい?僕がおかしいっていうのか、おかしくないよ。おかしいなんて言われた事一度も無いけど、君がそう言うんなら今までの僕は全部おかしかったってことになるのかな。
 笑っているのに、笑ってくれない。心細くなる。どうしてそんな表情をしているの。
 外は良く晴れた天気で、差し込んでくる陽光はきらきらとまぶしく透明だ。光に透けて、彼女が、ふいに遠くに見える。あぁ、遠いんだ、僕の唇は笑みを浮かべた。遠くに居るんだ、彼女。
 こうして向かって膝突き合わせて話をしているって言うのに。
 ふいに言われた。あたしの声が、聞こえてる?
 聞こえてるよ、どうしたの?
 聞こえないんだ、あたしの声。
 聞こえているのに。悲しく思う。
 ポストに郵便があったのよ、それは、古びた木箱。
 何とも手ごろな大きさの箱で、膝の上で、抱え込むのにちょうど良い。
 はめ込み式になっている蓋をかぽん、と外せば、
 ・・・・・・の下駄じゃないの?
 中には、一組の下駄が入っている。
 ・・・・・・僕の下駄だ。
 真新しくて、赤い鼻緒。いつも僕の身に付けている、それと、寸分違わずの。
 でもいつもの下駄、ここに在るじゃない。この世に二つと無い唯一品だって、いつも聞かされて来たじゃない。
 彼女は猫のように首をかしげる。嫌だな、何かの、罠かしら。
 罠・・・・・・。呟きながら両手に取った。質感すら同じものだ。奇妙な事に懐かしいような感慨さえ覚える。ずいぶん前からなじんでいた物の様な、手に伝わる感触。微妙な懸念がちらりと胸を付いた。何故、こんなものが、送られて来るんだ。
 差出人は不明よ。誰宛なのかは・・・・・・それは間違いなく・・・・・・
 僕に送られて来たんだね。
 彼女はわずかに口ごもる。猫にそっくりな目はゆらりと揺らいで、
 気をつけた方がいいよ、用心するに越した事はないよ、何かの罠かも知れない、容易く、触らない方がいい
 僕に送られて来たんだね。
 何故、こんなものが送られて
 送られて来たことの意味は、そして、僕にどうしろと、
 どうして欲しくて、こんなものが。
 彼女が僕の名前を呼ぶ。
 邪魔な声 いらない名前 いつだって 忘れたくても忘れさせない
 ここに居るのは君が話しかけているのはそう僕のことであるんだと君はいつでも認識させ
 ・・・・・・やっぱりあたしの声、聞こえないんだね。
 悲しそうな顔をしている。君のせいなんかじゃないって、言ってあげたいけど、君は光に透けた分遠くなってしまっているからかける言葉が見つからない。どうしよう。
 ありがとう。そう言った。今日は、来てくれてありがとう。
 ここに来てくれてありがとう。ありがとう、ありがとう。
 ありがとう。



 きらきらと空は晴れています
 きらきらと陽光が眼球に突き刺さり血を流します
 彼女が泣いていたのに
 その顔をよく見てあげることが出来ないんです
 痛みが僕を何にも無い宙に浮き上がらせくっきりと輪郭を持たせる
 これが自分 どうしたらいい
 これでいい訳が無い

 痛い 痛いのです目玉。白くえぐれた所から透明の破片が潜り込み裏側へ
 あまり苦しくて喉を広げるように舌をいっぱいに突き出し、吐き出す息や潰れた呻きが、いつの間にか、笑い声に。唾液がつたって、陽の光に反射して、糸を引き、きらきら。辺りはまばゆい光に満ちて。気持ちの良く、輝きながら。
 いつから壊れたの
 いつから全てを見失ったの
 あぁ世界全て 世界全てが透明です父さん。
 色の付いているのは自分だけ くっきりとはっきりと 荒く きれいじゃありません光に透けません つたいしたたる唾液だけです 笑い声は潰れかけた蛙のようです
 彼女は泣きながら帰って行きました。あなたは あなたはとしゃくり上げながら その可愛い指であふれる涙を何度も拭いながら
 あなたはいつも見えなくて聞こえない。
 自分に付いている傷に気付かない無自覚さがあたし悲しい。
 既にあきらめてしまった無防備さがあたし怖い。
 見えていないの、聞こえていないの?気付かない振りをしているだけ?
 それなら、あなた、これから、一体、どうなっちゃうのよ。
(あなた強い子なんかじゃない 皆の英雄になんかなれない だからあたしの声を聞いて、一度でいいから、さらけ出してよ)


 あぁ後ろに黒い影 僕の背後で音も無く
 舌を垂らし、指先を放り投げた。もう、動かないつもり。これから二度と 二度と
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 垂れた唾液がダイヤモンドみたいに光る
 あぁ 僕が 殺した幾つもの影 過去が 過去が 追いかけてくる
 過去が追いかけてくる
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
 うわぁぁぁぁん


 ダイヤモンドみたいにきらきら光っている。