騒々しい剣幕が近付いて来て、背景明るくなる。はやし立てる声、怒鳴りつける声、向かってくる足音。
 一際高い下駄の足音を響かせて、鬼太郎、中央で止まる。ネズミ男は背にかじり付いている。ボーォと低く霧笛。黒光りする夜の海が背後に広がっている。

ネズミ男  「来たぞ、行け!」

 オカリナロープが鋭く唸る。女を瞬時に捕らえる。咆哮が響く。

鬼太郎  「さぁ観念しろ!」

 鬼太郎、そのまま海面へ女を叩き付ける。女、悲鳴を上げる。ネズミ男、手を叩いてはしゃぎ、鬼太郎と並んで身を乗り出す。

ネズミ男  「・・・・・・あら?」
鬼太郎  「・・・・・・」
ネズミ男  「なんか、アレだな、思ったよりも・・・その、なんともない?」
女  「何のつもりだこの馬鹿畜生共」
ネズミ男  「塩っ辛ぇ水でよ、あれ、環境が違うからよ、苦しんでのたうち回るとか・・・・・・あの、なんともない?」
女  「多少の塩水程度でどうにかなるかよ、金魚にゃ塩は薬になるんだよ!金魚飼った事無いのかいこのネズミ面!」
ネズミ男  「ネ、ネズミ面・・・こんにゃろそりゃ俺のアイデンティティだ!」
鬼太郎  「よけてろ、ネズミ男!」

 すかさず鬼太郎、体内電気放出。ロープを伝い、女の体でまぶしく発光する。辺りは昼間のようになる。耳をつんざく絶叫。暗い波がきらめき、ざぶざぶと光り輝く。

鬼太郎  「どっちにしろこれで終わりだ!どうだ大人しくするか、言う事を聞くと誓うか!」
女  「あぁあしびれる、くるしいくるしい、おのれあんたは毎回これだ、大人しくさせて『それで良いんだ』などと、などと、などと!良いもんかよ、何一つとして良いもんかよ!あぁあ!」
鬼太郎  「まだわからないのか!」
女  「わからないのはどっちだよ!」
鬼太郎  「このわからずや!」

 鬼太郎、更に電力を増す。女は切れ切れの叫び声を上げる。
 体が痙攣して、白目を剥きかけている。

ネズミ男  「やり過ぎだぜオイ、とは言えねぇよ。怒らせたらもう、手が付けられねェ」
男の声  「待って下さい」

 静かに、しかしはっきりと声が響き渡る。

男の声  「待って下さい、その女を責めるのはもう、止めて下さい」



 左端にスポット、引際である。


ネズミ男  「あってめこのやろ、今更何しにノコノコと」
鬼太郎  「引際さん」

 鬼太郎、名前を呟くと同時に、放電を止める。
 引際、ひとつ大きく頷くと、真っ直ぐに海の方へ進んで行く。
 ぐったりと伸びて弛緩した女の肢体が、波の間に間に沈みかけている。

引際  「藻ヨ子!」
ネズミ男  「な、何だ名前か?」
引際  「藻ヨ子!さぁ僕が来た、お前を求める僕が来た!もう逃げない、今度こそ逃げない!」


 波間に浮く金魚の幽霊、ぴくりとも動かない。


ネズミ男  「(小声で)・・・死んだの?」
鬼太郎  「いや、そんな筈は、・・・無いけど。・・・何だよ。」

引際  「僕は自分だけを愛していた。思い出の中だけの君の姿を追っていた。実際に傍に居てくれる君のことには目もくれないで。与えられるものを当然として、開放された先にある自由は、などと浮付いたことばかり考えて。何ひとつ答えようとはしなかった。僕は甘えた、最低の男だ」


 波間に浮く金魚の幽霊、身じろぎもしない。


引際  「正直こんな僕が今更、何を与えられるのかわからないけれど。与える、という驕りはこの際抜きにする、だって君は求めた、求めたのに僕は拒絶した、だから僕は返したい、もう望まれなくても遅すぎていたとしても返したい、今まで君が与えてくれた全てに対して。今度は僕が追っていく、君を愛すると追っていく!」


 波間に浮く女、目を開けた。
 か細い声で笑う、唇を歪めて。

女  「何、今更」
引際  「自己満足でも何でも良い、もう君から離れまいと決めたんだ!」
女  「あぁ、どこまで馬鹿。ほんと、開いた口が塞がらない」
引際  「大事だったんだ、何より大事だったんだ、気付くの遅くてごめん、いつまでも自分本位でほんとうにごめん」
女  「口先だけ。あんたの万年モラトリアムにはもうこりごり。言葉ならいくらでもなんとでも言える。証拠は。あんたがこのたびいざ思いを貫きますっていうね、何か証拠でもあるってかい」
引際  「あぁ、見てくれよ」

 引際、懐から小さな箱を取り出す。蓋を開ける。
 真っ白な光、サーチライトが伸びてきて、小箱の中、キラキラとまばゆく光り輝いている。

引際  「指輪だ」
女  「ゆびわ」
ネズミ男  「あれ買いに行ってたのかよ」

引際  「ほら指輪だ、君と僕とを縛るための指輪だ」

 叫びながら引際、宙に浮き上がる。
 するするとサラリーマンスーツが解けるように落ちて、足の代わりにひるがえる尾ヒレ、首と胴体を繋ぐ巨大なエラ、『金魚の幽霊』そのものの姿である。

鬼太郎  「引際さん!あんたまさか」
引際  「手首を切って金魚鉢に放り込んで来ました。僕は考えていたのです」

 引際、海上へ向かう。
 女、上空へヒレを伸ばして、水面から飛び上がる。
 引際、女の正面へ対峙する。肩を震わせている。

引際  「行こう。いや、お願いだ、共に行って下さい。この指輪で永久に縛られる事を誓って下さい。君と僕が永遠に共に在ることを。幼い頃からの希いを約束を。どうか叶えて下さい。僕でよければ、いやどうかこんな僕をもう一度、愛して下さい、お願いだ」
女  「あぁ、これは、これはほんとうに」
引際  「藻ヨ子愛してる藻ヨ子」
女  「引際く・・・」

 泣きじゃくる男を目の前に、女、呆れ返って口を開けたまんまで、
 するとその顔が一瞬だけ、金魚の顔が一瞬だけ、人間の、女の顔に変わり、
 眉をひそめて、苦笑いする。
 えくぼの目立つ、優しい笑顔。

女  「馬鹿だ。ほんとにまったく似たり寄ったりどうにも仕様が無い馬鹿だ。
   ・・・・・・そしてあたしも、心底馬鹿だねぇ」


 女の笑顔、ゆるゆると溶けた。
 雲が割れ、上空から光が降り注ぎ、引際、女、互いのヒレをしっかと組み合わせる。
 きらきらと舞う銀の紙ふぶき。小天使が3人、飛び交いながらラッパを吹き鳴らす。穏やかな旋律に合わせて、女、男を胸に抱き、男、女に寄り添って、天高く昇天して行く。
 天空に響く、鐘の音。極彩色のたなびく尾ヒレが、遠く、にじんで、かすんで行く。絵画のような情景。
 ありがとう ありがとう ありがとうございました。
 雲間が二人を吸い込むと、まばゆい光はぴたりと消える。




 取り残された鬼太郎とネズミ男、なんともいえない表情を浮かべる。
 鬼太郎、髪に絡まった銀の紙ふぶきを忌々しそうに振り払う。
 ネズミ男は鼻をほじっている。

ネズミ男  「何だったんだ一体」
鬼太郎  「知るか」