左方向から迫ってくる足音。少女、逃げるように下手に消える。
 場面が明るくなる、中央に鬼太郎が立っている。それを追って来たネズミ男、心底疲れきってへたり込む。


鬼太郎  「下駄が戻ってきた」
ネズミ男  「そうかよお前の、それ、リモコンだもんな。あーー参った参った・・・・・・俺ァどうすればいいんだ」
鬼太郎  「望まれてるなら行けばいいじゃないか。そしたら全て丸く収まるんだがなぁ」
ネズミ男  「そりゃひでぇよ、お前・・・ひでぇよ畜生、いつからそんな事言うようになったんだよ、友達じゃねぇかよう」
鬼太郎  「うるさいな冗談だよ、今ちゃんと考えてるよ、こんな時だけ友達面するな」
ネズミ男  「俺達何処まで逃げて来たんだ、またあいつは追ってくるぜ・・・」


 ひゅう、と風が鳴る。
 だしぬけに低い男の声で、「あのう」と響き渡る。
 短く叫んで鬼太郎にしがみつくネズミ男。声のした方向に鬼太郎、目をやる。
 眼鏡をかけた、冴えない感じのサラリーマン風の男が立っている。

鬼太郎  「誰だ」
男  「怪しいものではありません。私、コンビニであなた達を見ていました。追いかけて来たのです」

 男、懐から名刺を取り出す。

男  「引際と申します」
ネズミ男  「そりゃまた、思い切りのいい名前で」
引際  「お話したい事があるのです。長くなりますので・・・何処かで、腰を据えて、ゆっくりと。食事でもどうでしょう」
鬼太郎  「(疑い深い眼差しで凝視する)・・・・・・。」
ネズミ男  「誘いに乗ろうぜ、走ったら腹も減った。せっかく街中に出てきた事だしよ」
鬼太郎  「簡単に乗るなよ。お前な、いつもそれでな、だいたい今回はお前がラーメン食いに行こうって言うから」
引際  「それです」
ネズミ男  「はい?」
引際  「『らーめん百選』、読んでいる時から見てました。鬼太郎さんですね」
鬼太郎  「は、はぁ」
引際  「奢らせてください」




 暗転する。薄暗い一角に、ぼやりと光が落ちている。
 遠くから響くチャルメラのラッパ。ラーメン屋台の、赤いのれんが揺れている。
 座席に腰掛けている三人連れ。出来立てのラーメンがカウンターの上に乗る。

店主  「あいよ、しょうゆ一丁、味噌一丁、味噌チャーシュー特盛一丁」
鬼太郎  「なんでお前だけ味噌チャーシュー特盛」
ネズミ男  「奢らせてくれと言われたら」
引際  「構わないのです。召し上がってください」

 三人、ラーメンをすする。
 引際はひとり顔色を曇らせたまま、黙々と箸を進めている。

ネズミ男  「あぁうめぇ。五臓六腑に染み渡るたァこのことだ・・・・・・おい鬼太郎!それは俺のチャーシューだ!」
鬼太郎  「(無視して)それで、お話というのは」
引際  「もっと召し上がってもらってからでも宜しいんですが」
鬼太郎  「どうもね、今まで、こういう流れでのんびりできた例が無くてね。それにあなたは顔色が良くない。お話したいんじゃないですか」
引際  「(頷く)・・・・・・。」
ネズミ男  「(鬼太郎のチャーシューに伸ばした手を叩かれながら)なんだいひょっとしておめェも、あの金魚の幽霊に惚れられたクチか、なんてな、ハハハ。  (小声で)チャーシュー返せ」
引際  「そうなのです」
ネズミ男  「(麺を喉に詰まらせる)」
引際  「と、言うよりも、僕が全ての原因なのです。大元は、僕にあるのです」

 ネズミ男、コップの水を吹き出す。鬼太郎、嫌な顔をして横目でそれを見ながら、腕を組む。

鬼太郎  「金魚の幽霊 を招いた原因が、自分にあるという事ですか」
引際  「生み出してしまった原因、ということです。彼女は、僕の、恋人でした」
鬼太郎・ネズミ男  「恋人!」
引際  「(コップの水を飲んでから、一呼吸置いて、)昔の、幼い頃からの」


 遠くに見える街明かりが、屋台を取り巻いてチラホラと点滅し、一同、静止したまま動かない。
 間。
 引際、いつの間にか中央に立っている。
 奥の屋台の中で鬼太郎とネズミ男、小声でヒソヒソと呟き合っている。

引際  「家が隣で、幼なじみで、いつも仲良くお手手つないで。男女の違いを意識したのは中学2年生の夏。互いの気持ちを確かめ合えたのは中学3年生の春」
ネズミ男  「定番だねェ」
引際  「別れが訪れたのは高校を卒業する時。僕は大学へ、彼女は東京へ就職が決まり、変わらずにいようとした思いも、彼女からの連絡が途絶えた所で終了したのです。僕はとても悲しかった。思い出の中の彼女はいつも優しくて、笑うと口元の愛らしい、とても可愛い女の子だった」
鬼太郎  「途絶えた?」
ネズミ男  「新しい男だな」
引際  「何十年も昔の話です。そして僕は典型的うだつのあがらないサラリーマンになり、会社の金を横領した事で同僚に強請られる日々。人生が真っ暗だった。何の希望も持てなかった。その時ふと風の噂に聞いたのです。僕の人生で唯一輝いていたあの頃、傍に居て笑ってくれていたあの子が、都内のバーに居るらしいと」
鬼太郎  「あ、何か」
ネズミ男  「聞きたくねェって感じだよな」
引際  「僕は嬉しかった。何も考えられなかった。そのバーは、いかがわしい場所にある、場末の雰囲気漂う名前でした。僕はもう一度会いたかった、変わらぬ笑顔が見たかった、あの頃に戻りたかった、飛ぶように向かった。・・・・・・そこに居たのは、安臭い香水の匂いをさせた、派手な色合いの安物の洋服、そして大きな口ばかりが目立つあばたででこぼこの顔を、濃い化粧で覆った見た事も無い女でした。
でも僕の名前を呼んだ。懐かしい、と涙ぐんだ。口元のえくぼには覚えがある。僕の隣に、ぴたりと寄り添う雰囲気はとても体になじんだ同じものだった。間違いない、と確信した。あたしはあの時あなたに手紙を書ける資格を失くしていたのよ、と、とても悔やんでいるようでした。
・・・僕は思い出の写真、残らず取り出して、ひとつひとつを確かめた。そこに写っているのはニキビが花盛りで、大きな口ばかりが目立つ笑顔の、決して美人とは言えない少女。僕の記憶の中では、彼女は他の誰よりも可愛かった。」


 鬼太郎とネズミ男、顔を見合わせて溜め息をつく。

鬼太郎  「それで?」
引際  「殺してあげた、と言うのです」

 鬼太郎、頬杖付いていた右手から、顔を上げる。ネズミ男、鬼太郎のラーメンに伸びていた箸を止める。

引際  「あなたを脅していたあの人、殺してあげちゃった、海に沈めちゃった、あの目立つ笑顔で嬉しそうに、僕にそう言ったのです。喜んでくれる?と。
同僚は今も行方不明のままです」
鬼太郎  「それは・・・」
引際  「証拠は無いのです。でも、行方は知れない。あの笑顔で、何度も言うのです。幸せになろうよ。あたしもあなたも沢山辛かった分、幸せになろうよ、嫌な人、嫌な事みんなきれいに失くして、あたしあなたの借金も返す、困った人も借りたお金もみんな失くしてあげるから、幸せになろうよ、昔みたいに二人が世界の中心の、前とまったくおんなじの、ずっと一緒で、一緒で、一緒で、
 僕は彼女が怖かった。あの笑顔が怖かった。一緒に、一緒にと繰り返す、夢にも出るほど怖かった。
 それで・・・
 それで・・・」


 ぴんと張り詰めるような鋭い妖気。鬼太郎の髪の毛一本、ビリと逆立った。


鬼太郎  「あなたは逃げ出した。そうですね」
引際  「そうです僕は逃げ出しました、そして彼女は自殺した。睡眠薬を飲んで飼っていた金魚、僕のあげた金魚の水槽に切った手首を突っ込んだ。怖かった、彼女の想いが怖かった、僕は最低です、僕は僕に関わった人を皆駄目にしてしまった、彼女は僕以上に僕を愛してくれたのに僕は、死んでも付きまとってくる彼女から僕は、逃げたくて、解放されたくて、これは思い上がりでもなんでもない。結局いつも自分のことだけしか考えられないでいる――――」
鬼太郎  「伏せろ!」
店主  「うらめしやァ。」



 ラーメンを茹でる巨大な鍋が宙に浮き、鬼太郎たちの方向に向かって回転、すさまじい勢いで中身を放出した。派手な音。おびただしい水蒸気。
 奇妙なカン高い声を発した店主がくるりと前を向き、手ぬぐいを外す。するとそれは金魚の幽霊に変わっている。割烹着が落ち、尾をひるがえしてしゅるりと浮いた。
 伏せた鬼太郎、そのまま後ろに飛んで、距離を取る。

女(金魚の幽霊)  「逃げる男よ、うらめしやァ。」

ネズミ男  「(這うようにして鬼太郎の背中へ回りながら)おい、てめぇ、引際!自己陶酔してねェで現状を解決しろ!出たぞ、出た出た、女ァ出たぞ!
 ・・・あぁ何処行きやがったあの野郎!」

 引際、いつの間にか中央から消えて、左袖の端へ引いている。

引際  「でももう考えているのです。
  手はあることを知ってはいたのです。ずっと前から知っていたんです。
  えぇ、僕は考えているのです」


 引際走り去る。ネズミ男、地面を叩いて当り散らす。

ネズミ男  「名前の通りだな!」