カ ッ パ
踊っていたんだろ 赤い川の底で 見る人は誰も居ないのに ずっと。 煮えたぎる悲しみのそこで。 電話に出る? 電話に出てみなよ、面白いから。何故って、声が聞こえるのさぁ。 いや普通じゃないんだよね。だって声なんか聞こえるはずないから。オレ誰かにかけてもいないし、かかって来た事も無いから。だけど声が聞こえて来たりして。 オレ知ってるよ。これはきっと『妖怪』の仕業なんだ。『妖怪』がオレに電話をかけて、話しかけて来るんだ。 外に出ない理由……が、それだなんて言っちゃうつもりは無いけどさ。でも、面白いじゃん。耳に当てると話しかけて来る声が聞こえるんだって。面白くなっちゃうでしょ?ついついお喋り、したくなっちゃうでしょ?外に出て歩きながらだと電波切れちゃうかも知れない。可笑しな格好に転んじゃうかも知れない。そうしたら。 だからあんた、オレの事心配して来てくれたみたいだけど。え?依頼?そう、だったら何にも心配する事は無いって伝えられるね。オレ大丈夫でしょ?今こうやってあんたと会話しているオレの様子見て、大丈夫だってわかるでしょ?だからさ、 あんたもお喋りしていかない? おいとまします、なんて、言わないでよ。 白いパジャマ姿の男は、ゆらーり、と、立ち上がりながら笑った。 また来ますから、も、言わないでね。無しよ、それ。 だって来る訳無いじゃん。来るつもり、無いでしょ?また来る理由なんて無いもんねぇ、それ。 依頼?依頼されたから。あぁ、オレの様子調べる為か。 男の口は大きい。前に飛び出たような形をしている。笑うと目が細くなる。人懐こい顔をしている。ずっと笑ったままの顔をしている。 うーん、だったら、また来るかもなぁ、あんた。 目の玉がくるんと回転して、今度は面白くて仕方が無いみたいな表情になって、いいねぇ。面白いねぇ。嬉しいな。そんなこと言う人なんて初めてだ。 だったら尚更、あんたの家に、あんたを帰す訳にはいかないなぁ。 ね。ちょっとでいいから、お喋りしようよ。 ―――― ……電話だ。…… 電話だよ。聞こえるだろ。お喋りの時間なのさ。電話がオレを呼んでるんだ。 お喋りの時間だ、あんたはここから、出て行かなきゃ……。 扉を出て、扉を閉めた。電柱の陰から一人の若い男が、怯えきった表情でそろそろと駆け寄って来る。 「どう…でしたか?」 泣きそうなんだ。 「ぼくの言う通りでしたか?」 「あなたの言う通りでしたね」 僕のそう返した言葉がひどく恐ろしいものであるかのように、男は身を縮めて、両手で自分の肩を握り締めてみせる。 「もう少し、話を聞いてみることにしましょう」 「何とか出来ませんか、早く何とか、出来ないですか。……何処行くんですか」 「煙草買って来ます」 「は?」 「煙草を買って、手土産です」 どうしてそんなに、あなたは、泣くの? 封を切らない煙草の箱二つ、手の中で遊ばせながら、 扉を開ける。 男は暗がりの中、突っ伏している。 頭を床に付け、腰の位置高く突き出して、まるで誰かに打ち付けられたかのように。 頭の先にごろりと、その携帯電話は転がっている。 ……いやな思い出が居るんだ。 後手にバタンと扉を閉める音に合わせ、男が呟き始める。 いつも続いているんだけど、たまになんだか、思い出すんだ。それで、とっても、いやな気分になるんだ。 それからハッと首を上げて、何かに気付いたみたいな勢いでこちらを見た。……あぁ!あんたじゃないか。起き上がって嬉しそうに笑った。なんだぁ、また来てくれたの?丁度良いタイミング。今やる事無くてヒマだったんだ。 僕はその言葉に少し吹き出して、手の中の煙草をひとつ、放る。男はきらりと目を回し、素早くそいつをキャッチして、 何これ、嬉しい。こんなのあんた、友達みたいじゃん。オレとあんた友達みたいじゃんこんなの。嬉しい。オレこれ大好き。そうだよねやっぱりメンソールなんか吸えないよねぇ。 ……あぁ、オレにも火を、貸してくれる?あぁ、有難う。…… どうしてかって? どうしてさっきは、あんたを追い出したかって?電話が、呼んでたからだよ。 どうしてさっきと、違うことを言うのかって?あぁ、『お喋りの時間』が来たからだよ。 お喋りの時間には違う会話をするからさ。 その会話は秘密。何を話すかって、誰にも教えちゃならない。 でも今は大丈夫。電話に出てみる?面白いよ。お喋りしてみる? ……でも、いいや。あんた今は、オレとお喋りしに来てくれたんだから、電話は、いいや。 あぁあんた、ほんといい時に来てくれたよねぇ。今凄く、やる事はないし、寝るのは厭きたし、たいくつ、だったんだ。テレビばっかり観ちゃってさ。 あんたが来るって朝から知ってたら、良かったのになぁ。 オレきっと楽しみで、朝から浮かれっぱなしだったよ。きっとね、下手糞な歌なんか歌っちゃってさ、 踊れもしない踊りを踊っちゃってさ、 あんたヘンだって言うかな。踊れもしない踊りを踊るオレを見て、変だって言うかな。気持ち悪いかな浮かれっぷりが。そんなに楽しそうでおかしいよ、近寄りたくないよって言われちゃうのかなオレただ嬉しかっただけなのに 手足がね、手足が、手足の動きが ギクシャクしてなんか、人間じゃないものみたいだって、 動きズレてる、なんかおかしいよ気持ち悪い、それじゃ人間じゃなくて、そう、あれみたいだよ あれ、妖怪の そうほらそっくり、そっくりだ! ほらキュウリキュウリ、キュウリあげるからまた踊って、さっきと同じの踊って、 踊った、アハハハハハ。 「それは君の話?」 僕の言葉に、男は口の動きを止め、横目で僕をゆっくり、ゆっくり辿って、 首を振る。口を開けたまんまで、目を見開いて、かすかに、かすかに首を振る。 「君の、思い出?」 ……思い出なんかいっこもない。 「いやなことを思い出すって、言ってたよね」 返事は無い。屍のような空気の匂い。 「その電話は君のものなの」 遠くを彷徨っていた男の目が、その瞬間ぱっ、と輝いて、嬉しそうに戻って来た。頷く。口の端を上げて歯をむき出して、何度も、頷く。僕も微笑んで、その瞳に、頷き返してみせる。 「いつかかってきたんだい。何て言っているんだい」 オレがかけたんじゃないんだよ、オレにかかって来たんだよ。 それからずーっと、耳に当てると、声が聞こえる。 最初は凄く、びっくりしたよ。 だって誰かがかけて来るなんて事無かったもんな。でも別に寂しいだろうとか思って、かけて来た訳なんかじゃなかったんだ。当たり前だよー、そんな都合の良いことなんて無いよう。 偶然オレにかけたんだけど、相手がオレだったから、喋り始めたんだ。オレにはそれがよくわかった。だって、今まで誰かと電話で話したことなんて無かったからね。聞いてると、ずーっと喋ってるの。声が聞こえるの。面白いよー、楽しいよー、凄く、お喋りで。だからさ、面白くって。もう。 ……あんたは、オレが寂しかったんだって、思ってるんでしょ。 ずっと寂しくて、たまらなかったんだって、思ってるんでしょ?違うんだなぁ、オレはさぁ、たいくつ、だったの。ずーっと、たいくつだったの。オレが何か始めるとそれは全てダメになってしまうからだからひとりで、ずっとひとりで、 あんたには、そういうの、ある? 「あるよ。」 僕が一言、そう言うと、男はぎょっとして目を剥いた。 僕はふぅっと煙を吐く。暗く淀んだ天井に、ゆるゆると紫煙が昇って行く。 「『昔友達が出来たんだ。 相手のこと凄く好きだった。話をするのが凄く嬉しかった。 でもある日から来なくなった。 もうお前にはうんざりだって、電話で。そう、電話の、向こうから。』」 |