出かけていた佐藤がかき氷買って、嬉しそうに戻って来た。
「メシア、メシア、青いのは、ブルーハワイっていうんですよ」


 縁日やってました。長蛇の列でしたよ。いやあ苦労でしたこれ買うだけでも
 頼んでないぞ、なんだ偉そうだな、お前が食べたかっただけだろう。そんな事より用事が済んだらさっさと戻って来い。メシアの使徒だという自覚が足りんぞ全くそんな事では
 蛙男さんの分もありますよ。3人分だけこっそり買ってきたんですよ。息抜きだって必要でしょう。食べませんか要らないんですか。
 食べるよ。食べないとは言ってない。久し振りだな……おいなんで緑を渡すんだ。お前の独断か。赤いのは無いのかイチゴが好きなんだ私は
 蛙は緑でしょう。なんですかその顔は。大丈夫ですよメロンの味らしいですよ。私は黄色、レモン味なんですよふふふ。
 ユダの色だな。
 ……あなたそれひどくないですか。なんですかそのしてやったりって顔は 性格悪いなあ
 人の事言えた義理か、お前が
「メシア、メシア、どうしました。何をお考えでいるのですか」
 青い色は、嫌いですか?

「……凄い色だなあ」
 目の前に置かれた紙容器の中を、まじまじ見つめながら口を開くと、二人の掛け合いがステレオサウンドの様に僕に向けて降り注がれた。
 仲良いな、お前たち。
 馬鹿者佐藤お前少し考えろ、なんだってメシアにこんな身体に悪そうな色を。気持ち悪いじゃないか食べ物なんだぞ!  いやいやいやちゃんと縁日のかき氷屋で売ってましたから大丈夫ですよメシア!珍しいものだから食べて頂きたくて、あれっこの色お嫌いでしたか、似合うと思ったんだけどなぁ。  似合うとかそういう問題じゃない、今すぐ赤買って来い!  えーとどうしましょうそうだ私の宜しければお分けいたします、黄色だからほら混ぜれば多分緑色に、……レモン味とソーダ味混ぜればレモンソーダの味になるんだろうか……。  馬鹿佐藤毒味実験的な事をメシアにさせるつもりか!緑だったらそのまま私のがあるだろう!イチゴ買って来い!  あなたそれ自分が食べたいだけでしょうが!
 ほんとに仲良いな、お前たち。
「コーヒー味はなかったのか?」
 そう言うと、二人はぴたりと掛け合いを止め、顔見合わせてはぁあと溜め息を落とした。メシア、いくらコーヒーお好きだからって、それは無いですよ。有り得ないでしょう。
 なんだ無いのか、いけると思うんだがなぁ。
「青い色は嫌いじゃないし、別に気持ち悪いとも思ってないが、思い出すことがあるんでな」
 思い出す?二人の声はやっぱりコーラスのサウンドの様に揃う。コンビみたいだな、お前たち。
「子供の頃に見た青い色の怪物だ」
 まだ子供じゃないですかというその揃った顔は止めろ。
「2回だけ、見た。見たんだ。何だかはよく……わからない」


 泣く一歩手前の感覚。辺りは薄暗い時間のはずなのに、妙に明るくって、それが少し空々しい。
 夕暮れだったんだな、喪服を着ていた。小さい子は(まだ、こんなに小さい子には何もわからないだろう可哀相に)向こうに行ってなさいと、お庭で、遊んでなさいと、外に出されて、外遊びなんかした事の無い僕は何していいかわからなくて茫然としていたよ。葉っぱをいじったり、ぴかぴか光る変わりゆく雲を眺めていたり、無為な時間、直ぐに飽きた。何をして良いのか、わからないんだ。
 感覚が、張り詰めているくせに、鈍いんだ。何を考えていいのか良くわからない。そんなことは、初めてだった。いつも何かしら考えているのにな。どうしたらいいんだか途方に暮れ、ただ、目と、鼻の間にある神経が、妙に熱くてちぎれそうになる感じをこらえていたら。庭のはじっこに、それが立って居るのを見たんだ。
 もやもやして、形はずんぐりとして大きく、僕ひとり簡単に飲み込めてしまいそうな影法師みたいな。まなこはふたつで、ぐっしょりと濡れている。ぐっしょり濡れたそこから流れ出したものが全身をびっしょりと、青に、染めているんだと思った。薄暗い青色の影坊主。怪物いかにも悲しげに濡れて、それで僕をじっと見ている。何か言いたげにじっと見ている。
 そしたら怪物、何をするのかと思ったら怪物、ふところから小さいボールを取り出して、こっちに放ってみせるんだ。てん、てんと僕の足元に転がったボールをゆらゆら指して、こっちに放れと手招きする。よくわからなくて投げ返すと、怪物再び投げ返してくる。
 キャッチボールみたいなものだという事は、長じてから知った。
 誰か大人、弔問に来ていた大人の誰かだったってことは、絶対に無いんだ。皆忙しくて僕に構う暇などなかったんだからな。
 まさか父親、お父さんがそれだったってことは、絶対に無いんだ。何故なら喪主だし、一番忙しいというなら彼だろう。そんな時に子供の相手をする抜け出す時間など、在りはしない。
 僕はボールで遊んだ事などなかったし、なぜこの怪物がこんなことをしてくるのかわからなくて気味が悪くて、それでも数回放ったかな、もう勘弁してくれと、お前はもとの場所に帰れと、言い放って、背を向けた。少し身じろぎして悲しげな声を上げ、怪物、ぐっしょり濡れながら、全身引きずるようにしてよろよろとさ、まるで傷付くみたいに。僕の言葉に、打ちひしがれるみたいに。
 泣いてるみたいに。泣いてたみたいに。それでもそんなに悲しくてもあの時の、泣かないで、泣けないで、いた僕を、
 気遣って現れて、くれたのかもしれない。それはよくわからない。僕はなぜそう思うのかも、わからない。

 2度目に現れたのはその夜の事だ。僕が見たのもそれが最後だ。あれは一体、なんだったんだろう。
 僕は眠っていたんだな、いや眠っていたのかはわからないな、頭の中の全体に、今まで見たことも無いものが押し寄せてくる。頭の中を飛び出して、部屋の壁紙全体に、天井高く一面に、押し寄せてくる、圧迫してくる、見たことも無いもの有象無象。振り払っても威嚇してもざわめく。放っておいて無視しようとしても忍び寄る。何だって言うんだ、恐ろしい程荒涼として巨大な圧迫感。全身に圧し掛かって這い登ってくる。足元から冷たく、這い登ってくる。
 おまえがしねばよかったのに
 息がつけない。寝床の中。暗闇の中。口は開いているのにな。別にふさがっちゃいないのにな。息が苦しい。何だというんだ、おかしいな。きょういちにちなんだかずっとおかしいな
 どうしていないの
 おかあさん
 殺した、殺した、おまえが、ころした、ざわめきすすり泣きながらひそやかに笑い声が聞こえる。おまえのことばっかり心配して、おまえのことばっかり気にかけて、おまえのおまえのすべておまえのことばかり、そればかりで、とうとう死んだ、しんでしまった、おまえのせいだよおまえがころした
 だれがころしたおかあさん それはおまえよかわいいひとりむすこ
 かわいそうに おまえがいなけりゃ こんなことには
 そうだよしあわせになれるはずだったのに
 おまえがうばった そのいのち おまえがころした しあわせのけんり ゆめえがいていた かけがえのない みらい
 だからおまえさえいなければいなければいなかったのなら
 そうなのか僕さえいなかったのならそうなら
 そうさあのひとじゃなくすべては おまえが おまえさえ おまえさえいなくなればすべては 世の中は
 どうして居ないの お母さん お母さん
 のろわれたこあくまのこ、
 おまえが全ての元凶だ。
 もうどこにも居ないの
 お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母

 その時現れた。部屋の隅にのっそりと、やっぱりいつから現れたのか定かじゃないいつの間にか、茫洋として間の抜けた影坊主、青い怪物がそこにすぐ側に立っていたんだ。

 僕は叫んでいた様なんだ。目と、鼻に繋がる神経が、とうとうブチッと千切れたみたいで、水っぽいびしゃびしゃと液体状のものが、顔の中いっぱいにどろっと氾濫して、すぐにあふれ出して洪水のように苦しくて、鼻がツーンと熱くて痛い、息せき切って息がつけない、口は違う別人の物の様に何か喚き散らしている、止まらない。自分の意思が利かないんだ。いや意思等あったかどうか。
 何か叫んでいたようなんだ。喉は破けて血も吹く熱さ。ふいに手が伸びてきた、喚き暴走する僕の喉に、大きな手が伸びてきた、あいつの手だった、青く濡れ、悲しげにうめく巨大な怪物。僕を殺しに来たんだな。とうとう僕を、殺してしまおうとやって来たんだな。
 大きな手が、僕の喉に触れた。かさかさと乾いてて無骨なぎこちない手。ぴたりと触れたその次に、つーっとつたって僕の頬を包んだ。頬を拭う、ぴたぴたと軽く叩く、包み込む。
 そしてもうひとつの手が大きなその手が、くしゃりと頭を撫ぜた。くしゃくしゃと頭を撫ぜてきた。幾度も撫ぜた。巨大な腕で、抱きしめた。青に染まった湿っぽい、陰気な悲しみの匂いの染み込むその広い広いふところの中、僕を包んで強く抱きしめた。おうおうと吠える泣いている。実にぎこちない抱きしめ方で強くきつく、抱きしめる。泣いている。
 誰か大人、通夜に参加していた大人の誰か、だったってことは、絶対に無いんだ。見知らぬ他人が僕の寝室になどやって来れるものか。
 まさか父親、お父さんがそれだったってことは、絶対に無いんだ。なぜなら喪主だし、一番忙しいのは彼なのだから。
 何をするんだ、やめろ、僕の発した声は枯れてかすれて、とても頼りなく響いて聞こえた。実に可哀相な子供らしい感じで、な。怪物には聞こえてなかったのか聞こえない振りをしたのか。
 やめるんだ。お前、何がしたいんだ。僕は腹立たしかった。いかにも頼りない不様な子供の弱々しい己の声、腹立たしかった。僕は平気だ、僕は何でもない、お前何がしたいんだ、お前は何をしに現れたのだ。
 お前も僕を殺しに現れたんじゃなかったのか。
 殺してしまえばいいと思って現れたんじゃないのか。
 怪物め。
 怪物は少し身じろぎしたが、震えるだけで、それでも僕を放さなかった。驚いた。暴れた。苦しそうなうめき声低く上げて、怪物はようやく腕の力を緩める。その途端僕は力が抜けて、張り詰めていた全てが一気に決壊して、意識を失った。ベッドの上に倒れてしまった。
 それでもこれだけは言ってやる、僕をじっと、黙ってじっと、見つめ続ける怪物の、ぐっしょりと青色に濡れそぼったふたつのそのまなこ目掛けて、
 僕は平気だ。これからどんなことが起きても、平気だ。平気なんだ
 なぜなら僕は
 なぜなら僕は 誰もがそう呼ぶ あの名前 あの名前の そう 僕は……

 それが最後だ。それから二度と、あの怪物は現れない。
 現れない方がいいのかも知れない。わからない。僕はなぜそう思うのかも、わからない。




 凄い色だな。匙を取って、その青色の氷の塊をすくう。いかにも甘ったるい匂いが鼻を付く。
 漫才コンビの二人は掛け合いを止め、押し黙ってただ僕のその手元を見ていた。しょんぼりと口をつぐんでいるように見えた。別に怒っているわけじゃないんだぞ。
 たまにはいいかもな。涼しくなるし。
 甘いものだって。
 口に一口、含んでみる。ツンと鼻を刺す、溶け出す青の冷たさ。

「うん、旨いよ」