道に落ちてた、髪の毛を一本。拾った。
 まるで見つけて欲しかったみたいに、
 手の中で赤く光り始める
 赤い髪の毛。

 道に落ちてた、髪の毛を俺は
 手繰った。しゅるしゅると生き物のように伸びてゆく。
 生きているのか死んでいるのか まぁ、どっちでもいい。
 伸び続けてゆく赤い一筋に、動物性や血液、湿度や温度、肉の匂いは感じない。握り締めた手のひらの中で、滑らかにただ遠くへと伸び続けてゆくだけ。冷たい。温もりは無い。生物の、肉じみたものをひとつも感じない。
 それなら良い。
 うっかり肉に触れたくは無い。
 触れたらいつも砕いてしまうから。
 生身に触れるその時の
 体温 生暖かさ 湿り気に 温もりと 悲鳴を どうしても 求め
 そうだまるで植物のようだな。しなやかに水のように伸びる、お前は植物のつるのようだ。
 赤いつる。
 強い香りを放つ
 ローズウィップ。
 咲くか。
 咲くのか。
 お前なんだろう、多分。
 強い香りを放つ何処までも伸びる。俺は手繰り寄せながら進んでゆく。辺りは気が付けば無音で、俺は呼吸すらしない。俺の中には初めから音なんて存在してないんだ。
 鳴り響くのは、切り裂くのに似ている。
 だから、誰かが、不意に、無防備に、鳴らしたら。俺はそこを斬り付けてしまう。反射速度で、斬り付けてしまう。
 笑い声でも、慈愛でも。悲しく揺れてた、瞳だったとしても。
 息が止まる。時には疲れる。
 何も知らない肉の匂いにはうんざりしている。
 俺の中に、
 もし鳴らすなら、
 響かせるとするなら、
 伸びるみたいに、するすると。やがて開くみたいに、ほころぶみたいに。
 つぼみが次第に滲んでゆく。見覚えのある薔薇色に、開いてゆく。
 いつか見た色 何度でも。望みもしないのにいつでも見せた。
 鳴らしたのは誰だった
 響かせたのは何だった
 植物みたいな
 強い香りの
 赤い髪の
 それにしてもここは何処なんだ。
 一体俺は今、何処を歩いているんだ。
 この赤は何処まで伸びてゆくんだ。途切れることなく真っ直ぐに、たゆたうように、けれど、どこか夢の中を、泳いでゆくように。緩やかにたわんで、震えて、時々歩調の惑う俺を振り返って、様子を見ている、目線が、
 置いて行きませんよ
 連れて行きますよ。
 笑う声みたいに、光った。いつもの、いつかの、あの調子で、同じ具合に、中へ、響かせた。
 つるが伸びて行く埋めてゆく。あの時も今も俺の中に走った、このひび割れに。赤いつるが同じ形にぴたりと沿って埋めてゆく。
 やっぱり、お前か。
 俺の口が笑うように広がった、気がした。
 夢を見ているみたいな
 花が咲く。
 赤い花が開いてゆく。
 むせ返るほどの甘い匂い 強い香り。
 吹きぬける風。生ぬるい、汗を散らす突風。
 不意に視界が開けて
 真夏の夜の夢、最後に残した記憶の場所は。
 思い出せませんか
 願いがひとつ、叶いますよ。


 とろりと香る濃い重たい風が、脇腹をまとわり付く素振りでかすめて過ぎて、
 辿り着いたのは海辺。幕を上げたように唐突な、海辺。
 なんだかまぶしい。黒光りとは違う、光り輝いているようだ。金色に。
 風が夜をいざなって行くのが見える。
 水平線の遠い彼方へと集まってゆこうとするのが見える。
 辺りは潮の匂いに満ちて、一面、底の方に溜まっていたみたいなはっきりとした色の、藍に、溢れかえっていて、
「ほら、捕らえた」
 耳元に風が吹いた。楽しげに弾む囁く声が、はじける泡みたいに、余韻を残す。
 黒い影いっぴき、つかまえた。
 手の中で伸びるつるは波打ち際に佇む俺の身体にまとわりつき、絡み、頭頂でゆらゆら、ぽっかり花びら、開かせてやがる。
「オレでも捕らえること、出来ましたねえ」
 簡単だろう、お前なら。
「まさか。買被り過ぎですよ」
 風に乗って響くお前の声。何処から聞こえて来るんだ。
 花は可笑しそうなあいつの囁きにあおられ、はらはらと花びらを散らす。見えない手で玩んでいるように。俺は身体中縛り上げられ身動きひとつとれない。何て体たらくだ。滑稽だな。でも、不様などでは無く。
 口を開ける。乾いた、潮の匂いが流れ込んで来る。
 夢を見ているみたいだな、と、思っている。
 夢を見るのはいつ振りだ。最後の、潮の匂い。まぶしい光と白い砂、もうモノクロームのような思い出せない時間のような。そう怖いくらいに光っていた海。真昼の海だ。とてもまぶしく輝き波の飛沫が高く暗く光って目の前で、俺は、
「どうして会いに来てくれなかったんですか?」
 怖かったの?
「……忙しかったんだ」
 あぁ、唇が震えている。俺はこんな声をしていたんだったか。
 自分の声を聞くのも久しぶりだ、最後に口を開けたのは、いつだ。何を喋った、どういう意味の何を発したんだ、思い出せない。
「お前だって、もう、そっちの世界での暮らしがあるんだ、いちいち俺にかかわる理由は無いだろう」
 何が
 怖かったの?
「会いに来てくれない、など、責められる覚えは無い」
 思い出せない。必要が無い。何を口にしたかなんて記憶する理由が無い。あの頃とは違うから気にかける手間なんてもういらないと
 あの頃?
 ちがう と、思ったの?
「責めてるつもりは無いんですけどねえ」
 くすくすとかすかにざわめきが拡がる。風が、俺の前髪のところをくるくると、撫ぜるみたいに揺らしてゆく。
「あなたには、そう聞こえるんですか」
「何が言いたい」
「そう聞こえたんなら、オレは凄く、嬉しいなぁ、って」
 あなたがね、
 そういう風に思えたってことが、オレは誇りです。
 ざわざわざわ、身体中に、打ち付ける、生温い潮風。とっぷりと濃い藍色が流れて、ひたひたと全身を、染めてゆく。透き通った深い夜の色。その中で、
 反応する。騒ぐ。再び意思を持ったみたいに、赤いつるは伸び始める。
 散りかけた花びらが香りを撒き散らす。潮に混ざった甘い匂い。赤い花の。頭の端がとろけ出す。あの花の香りに、もうひとつの俺の、眼が、今、開こうとしている。
 会いに来てくださいよ
 見つけてくださいよ
 潮風と薔薇の匂い。探した、真昼の海で、いつだったか。残っていた。鼻に漂った、お前の花の香り。いつだったのか、お前達が居た海を、俺は一人で探したんだ。
 いつだって、待っていたのに  見つけてくださいよ
 終わったなんて勝手に思ったのは誰?
「……見透かした様な事を言うよな」
 見透かしてなんていませんよ
「お前はいつだってそうだ、その、見透かした様な目で」
 見透かせてなかったですよ
 嫌だな、あなたはオレのことを、また、決め付けて
 くすくすと流れ、響く、優しい音色。
 上空に、お前は、居るのか。この、空気中に。
 この空間いっぱいにお前の気配が満ちていて俺は眩暈がする。
 だから、
 夢みたいな事を、口にする。
「探した。けれど、もう居なかった。だから、終わるのか、と思った。それだけだ」
 終わってもいいかも知れない、と思った。
 何故探したのかはわからないけれど。わからないまま。それから、そう、思った。
 でも、
 あれからずいぶん経ってしまっていたから、残っている筈などないのに
 香りが お前の、花が。
 決定的に変わってしまった俺とお前の世界の間で、
 消えないだろうと、終わらないだろうと、
 同じ、きれいな、
 きれいな、香りが。


「あなたは、何も言わないから」
 紅の夜風が吹き抜ける。
 俺の耳に言葉を落とす為。
 赤い薔薇の匂いを染み込ませた、
 夜風に見え隠れしている
 赤い髪。
「思っていることを、きちんと、伝えてくれないから。そう、願いとか」
「願い?」
「ちゃんと見つけてくださいよ、見えないなんて言わせません」
「見えない」
「何の為の眼なんですか?」
 その眼は。
 風にほどける、額が顕になる。あぁ、今、はっきりと夜風にさらされる。
 額の真ん中で捜し求める、この眼はまぶしく輝き始めている。
「その眼は何の為に付けたんでしたっけ ね」
 捜す為
 捜したかった為
 あなたの望み、願うもの
 全てを
「オレも見つけてくださいよ」
「くだらん事を言うな」
「あなたが、ね、」
 ほんとうに、望めば、
 いつだってその願いは、叶うんですよ。
「ほら、輝いてる。正直だな」
 真ん中にある瞳は。だから、嬉しい。求めてくれたその心が。動き出してる。輝きを放つ。オレはだから、今、嬉しくって仕方がないんです
 願う事など無いあなたが、初めて。
「俺の、望みか」
 応えは無い。静かに、凪ぐ気配。
「望みなんて聞くのか、お前は、俺に」
 笑わせる。
 懐かしい、笑わせ方だ。
 お前はな、
 いつだって、そうだったよな。
 いつだって、先回りして。俺の目線へ、枝葉を伸ばす。俺の気持ちの向かえるように。根を張り俺がその上で自由に飛べるように。
 迷った時は方向を指し示すみたいに音も無く伸びる、しゅるしゅると。隙間という隙間、あらゆるひび割れ、気付いたらぴたりと沿い、びっしりと、
 そう本当の植物みたいに、お前という存在は。
 埋め尽くしたそこから、咲いているんだ。
 なんでもないような顔をして、すっくりと、涼しく、咲いているんだ。
 肉から遠く離れたような
 なんだか、
 とても、
 きれいだな と 思って  眺めていたんだ。
 根を張り、つるを巻き付け、花を咲かせて。俺はこのままだと何処にも行けない。
 そうだな、今と、まったく同じ状態だ。
 行きたいなら千切ればいいだろう。
 俺は実に簡単にそれが出来るはずだろう、そうだ、今も昔も。
 変わってないなら
 いや
 違う
 そうじゃない。
 眺めて
 いたんだろ
 咲くのが見たい。
 きれいな、花が。
 昔みたいに。
 眩暈みたいに。
 続くみたいに。
 あいつらと、お前と、あの日々と、それすらも及ばないほどの長い時間の
 間に。
「続く」
 真夏の夜の夢。
 夢みたいなことを口にする。
「続けばいい」
 夢見て覚めた、と、思ったのに。
「続けばいい、と、思っているんだ」


 海上に、行き交う風の群、
 ちらりとこっちを見た。
 通り抜けたり浮かんだり、遊ぶみたいな紅夜風
 こちらを見つめて、ふわり、と撫ぜた。



 さ、どうぞ。 願いのひとつ 叶う夜。




 ぽう、と光る、額の眼が、
 波の上、空中の一点を、白くまばゆい輝きで照らし出す。
 光に寄せられるように、纏わり付くように、俺の身体を覆うつるはざわざわと騒いでその一点へと集まり身を寄せ、
 誘われるように潮風が、あちこち彷徨っていた夜風の群が、絡みつく、ほどける、ひとつになる。
 ほら、今、
 浮かんで、
 滑って、
 柔らかに、甘く、
 涼しく、つめたい、
 形を成す。
 夜風にたなびいて拡がる、
 濃い夜の色の中ではっきりと、映える、
 赤い髪。
 目を閉じたままで、可笑しそうにくすくすと、肩を震わせていた。
 気に食わん。俺は顔をしかめる。
 真夏の夜の夢
 あぁ、
 お前、

 そこに、居るな。

「見つけた」

 
 何処にも行かない、きれいな奴。







 素直じゃないんですよね
 勝手に思い込んで寂しがっているんですよね
 深い藍色の風の中にたなびいている、
 まぁそんな夏の夜の話。

 








く れ な い よ か ぜ
紅  夜  風











飛影さんって意外とロマンチストなんじゃないかと勝手に思うこの頃 「happy birthday」 だし
割礼の曲「海のあの娘」からイメージを頂きました
色々御教授頂きました、カズハさん、ありがとうございましたー!