神  無



 醜い嬰児が泣くぞえな
 紅に桃  腐蝕の臓腑が散るぞえな




 夜中、菩薩とすれ違った
 お前 母はと聞かれたんだ
 顔知らぬ、温もり知らぬ。天涯孤独の身の上よ。いつもの調子で応じたら
 ひどく優しい顔に見えて
 ならばおいで 知らぬ温もり 股の間で、温めてやろう もいちどお前を、産んであげよう
 観音菩薩の後光が差して、俺はその指先を追ったんだ。


 まただまされた
 裏切られた
 だから信じるなと どうして信じてしまうんだと 俺は またしてもまたしても顔を打ち付けて。 俺の頭にゃ何にも入ってねぇのかよ また毒を飲まされた 同じ味だ 忘れたわけじゃないだろう どうして繰り返す もう何も 何もと血反吐を吐いたあの苦しみ どうして俺は繰り返す
 こころを
 すてきれない
 さびしがりや
 おまえは求めているから 付け入られるのさ
 あぁ俺は所詮悪党気取りの三下だ これ以上どう足掻いても堕ち切れない。笑い声は叫びに変わる とっととくたばっちまえよくそったれ。
 俺にはこれしか出来なかった 俺なりの精一杯だ それでも駄目ならどうすればいい 夢を見たかったいつか 天女が
 神様みたいな 巨大な女が 足を広げて さぁここへ帰っておいでと
 願っているから、叶わないんだ。   俺は永遠にこのままか   求めているから、騙されるんだ。
 助けて助けてたすけて助けて助けてくれよ  だれか
 夜中、路上で、声を枯らして泣きわめいた
 カランコロンと下駄の音、響き渡ったんだ。
 途切れ途切れの不吉なまたたき 鈍い緋色の 電灯の下に
 鬼が来た。


 どうしたんだ そんな所で
 しゃがみこんで、俺の顔をぐぅいと覗き込み、
 お前に何があった どうして泣いているんだい
 その顔は、血の気の無く白く、紙みたいにぺらぺらで、目が、目が、片目が
 ぎょろりと深く、巨大で、今にもぼろりと飛び出しそうで 静かなのに表情も無いのにらんらんとたぎり
 真っ暗で 底無しみたいに 真っ暗で
 歪んで斜めに吊り上った口の中 帰って来れない深い闇
 細い体に似合わぬ指の、大きい、骨ばった感触が、すいと俺の頬をすべる。
 言いなよ
 菩薩だ 菩薩にだまされた
 女か
 女だ 慈悲深い子宮に拒絶された
 おまえ、そんなに涙を浮かべてしまって
 お前なんかいらねぇってよ 産み直してくれるって そう言っていたのに 役に立たなくて このざまだよ なぁ俺はいらないのかよ もう産まれてきちまったよ 産み直してももらえない おっかねぇよ 震えがくるんだよ
 神が俺のこといらねぇって言ったよ

 女か
 鬼は再び聞く。
 女だろう
 だったらお前は 泣くこと無いよ
 指が、ふいに、顎に食い込んだ。口をがばりと開かせて、この鬼は、まなこの位置にある深淵、くわと開いて、その中に問うた。
 その女の 居場所を教えてくれ
 おまえがもう 泣かなくてもいいように してあげるから
 俺を助けてくれるのか
 助けるさ
 呼んだろう

 母さん母さん 母さんに代わるもの誰か って 呼んだろう



 呼んだら 来るよ
 鬼はいつでも 聞いてるよ
 耳穴つんざくその低い笑い声は、俺の皮下に侵入し、ぼこぼこうごめいて引っ切り無しに騒ぐ。俺は腰を抜かしている。
 鬼が跳ねている。
 逃げる菩薩を、追っている。
 手管から伸びる自在な鞭を、怯える足首に絡ませて。ずるずると手繰り寄せぐいとその長い髪を引いた。
 がくりと開いた口が、カン高い女の悲鳴を上げる。
「今、なんて言った?」
 鬼はくるぅりと振り向いて、俺の方にそう聞いた。隻眼のその光、ギラギラ、刺すような異様さ。
 ぺらぺらのその顔は存在する振りをしているだけだ。生者も死人もうらやましくないんだ。なんなんだ
「なんて聞こえた?」
 こいつはなんなんだ、神様。
「しらねぇよ」
 俺は耳をふさいでいるから、何にも、何にも、聞こえるもんか。
 そうか やっぱりね
 微笑み、鬼は、髪ごと女の首をそらせ、
 開きっ放しの泣きわめく、その口の中に、
 聞こえたかい
 思ってるほどそんなに 絶対なものじゃないと思うよ
 僕にはよくわからない なんでそんなに拝みたがる?
 母さん かあさんって ねぇ
 うるさいよ

 足を広げて さぁ おかえり
「この中か、おまえが、帰っていきたいっていう、場所は?」
 俺はがたがた震えているから視界がブレてよく見えない。
「暗い、温い、狭苦しい、ここはそんなに大事な場所か」
 巨大な両足の 間に かくれている ざわめく たわむ うごめいている 手招きをして 無数の おびただしい赤の 赤い ひだが 伸びてくる伸びてくる絡み付くあぁ 今にも
 逃げなきゃ。
「こんなところには居られない」
 こんな処は 裂いてしまおう






「神も仏も あるじゃなし」
 笑う口元は、裂けるほどに歪んでいる。禍々しく、凶気、その頭上で猛り狂っている。
「親がなくても 子は育つって、ね―――」
 一瞬、わずかに痛みの走った表情を浮かべた。左手で、その何も入っていない眼窩を押さえ、小刻みに小さく、何度もうなずいて、伏せた顔の下からくっくっと、くっくっと、低い笑いがこぼれ出す。
 そして今まで聞いたことも無い声で
「はい、父さァン。」




 醜い嬰児が泣くぞえな
 朱に珊瑚  那由多の卵が散るぞえな

















絵を頂いたので
お返しに。無理矢理。書かせて頂きました。
「4代目鬼太郎とネズミ男で なにかドス黒いもの」
むしろ なんだか 後ろ暗いものになって しまいました
ありがとうございました!