この前テレビをいつ観たの?
 この前テレビをいつ観たの?

「世界中で起こっている、あの出来事は真実と、あなたはどうして信じたの?」







T.V.EYE







 客が来る。
 数日前から頻繁にやって来る。
 白衣の上に厚ぼったいコートを羽織り、小脇に抱えたカルテに資料書、ロールシャッハの模様はなに? ロイド眼鏡の縁は赤、アレキシシミアステロタイプアドバイザー、アスピリンを、あげましょう。
 ロリポップ。
 黄色い錠剤。
「さて今日も、診察を、始めます」
 精神鑑定だという。
 精神科医だという。
「君の名前は」
 松下
「名前を告げよ、と言うのだよ」
 一郎
「いちろうくん」

 僕はテレビを観つめたままで、奴の顔を見ることはしない。

 奴はにやりと笑う気配をまとわせて楽し気に、歌うように三回、僕の名前を書き付けた。
 いちろう、いちろう、いちろうくん。
「かの有名な太平洋電気の社長のご子息。大事な一人息子」
「おまえがそれを言うのも三度目だ」
「そうでしたか」
「おまえがここに来るのも三度目だ」
「3×3×3の答えはなにかね?いちろうくん」
「27」
「正解。棒付きキャンディをあげましょう」
 馬鹿でかい黒光りのする革の診察鞄から、どぎついメロングリーンのロリポップを一本取り出して、奴はメビウス描くように僕の顔のすぐ隣で振ってみせる。苦々しい。その瞳は真っ直ぐにこちらを凝視したままだ。苦々しい。甘ったるい香りが漂ってくる。意図せずとも鼻孔からいつの間にか進入して、喉の粘膜に絡みつきむせ返りそうな感覚を覚える。奴は僕がむせ返るその瞬間を狙っている。
 テレビのモニターからは世界の情勢が映し出されている。
 不快だ。
「君の学校に行って、話を聞いたよ。君がなんて呼ばれていたか、君には、聞こえていたかい」
 この場所は不快だ。
「悪魔くん と呼ばれていたね。常識では考えられない知能を持つと。ゆえに、何をするかわからない、恐るべきこどもと」
 空気は不快に満ちている。
「一万年にひとりの単位で例えられる、万人には理解不能の、異能児」
 世界は不快に満ちている。

 つみのないこどもがころされてゆくんです
 しよくをこやしてふとりつづけるせいじかがぞうしょくしてゆくんです
 せんそうが やまないのです
 せんせい せかいが
 せかいがくるってゆくのです
「学校で、流血事件を起こしたのは何故だい?」
 あの事件のあった日から君は、ずっとこの場所で 動かないで テレビだけを観つめ。
「邸宅から離れた、この、森の中の『研究室』で。何をして、いるのだい?」
 ぼくが そう 呟いた つぎの日から
 級友達は寄って集って“排除”を始め、先生は教科書を広げて顔の前に突きつけ問題に、答えてねと繰り返す。
 8かける5は 40 定規で三角をかいてみてね 何も知らないまだ小学2年生 A子さんは りんごを 何個もっていますか  世界を教えてあげるのよ 知識をさずけてあげるのよ
 なんにもしらないこどものきみに
「テレビを観ているんだ」
 せんせい ともだち よくみてみるんだ
「くだらない汚染が世界中に増殖されてゆく様が良く観える」
 ぼくをおかしいなどと言っているばあいじゃないんだ
「この箱の中から」
 せかいが せかいは 早くしないと せかいを

 にやり。
 精神科医の口の端が、裂け目のように大きく歪んだ。
「世界を変える、新しい理想郷を作る、そう発言して、君は大いに笑われたんだってね」
 何を言ってるのこの子。おかしい可笑しい。また浮いてるよ。まぁそれは松下くんらしい独創的な“将来の夢”ですね、はいそれでは次○○さんは大きくなったら何になりたいのせんせい○○くんがつくえの下でまんがを読んでいます
 うっとおしい 理解不能児 きもちわるい
「その結果があの惨事。君は学校に居られなくなって、ここに閉じ込められ、私みたいな者から診察を受ける羽目になった と」
 にんげんじゃないよ 悪魔の子
「閉じ込められたわけじゃない。自らの意志だ」
「ひとりぼっちになりたくて?誰のことも必要無いって?」
「僕の考えている事を遂行するためには、この環境になることが必要だったんだ」
「あぁ、“世界の再生”!なるほど、それだね、それが君の成し遂げたいと考える、“新世界の創世”への準備なのだというのだね?」
 精神科医の口の端はますます大きく歪み続け、次第にこちらへ寄ってくる。貼り付けた仮面のような笑顔が、静かににじり寄りだんだん巨大になってゆく。
 それ以上近寄るな。
「面白いか」
「いちろうくん。実の父親にも使用人にも恐怖されうとんじられ、孤立しきってひとりぼっちばかりの君に問う。君の望む、君のつくりたい と思っている、“新世界”とはいったい どんないろすがたかたちかね?」
「興味深い症例でも得られているか、学会にでも発表するのか」
「テレビばかり観ていると、脳がばかになるよ」
「僕はお前にとって理想の患者か?」
「ヴァーチャルの中でしか物事を体感できない、壮大な夢想家になるよ」

 泣いてるこども
 あぁ 箱の中 モニターの中の
 モニターの中の うつっている せかいは まいにち

「夢想だと?」
 次から次へと汚染し堕落し 罪の無い者達が泣き崩れ
「これのどこが夢まぼろしだ?まだ気づいていないのか、これが 観ろ 現実だ、世界の現実に毎日起こっているすべてなんだ直視しろ!」
 まいにちまいにち血は流れ 札束は濁流し砂糖と油で覆いつくされ
「ここに映し出されるものは真実だ、世間は気付かないか、見て見ぬ振りをする者ばかりだ、誰かがやらなければ、やれる力のある者がやらねばいつしか」
「誰かそう言ったのかい?」
 やらなきゃいけないんです ぼくはそれをしなければいけない
「この中 に、映っているのは真実だ って、誰か君にそう教えたかい?」
 どうして理解ってくれないの
 おとうさん
 精神科医がチャンネルを変える。
 広範囲に渡る海洋生命体の絶滅危機を告げる報道から、人気急上昇中のアイドルタレントのスキャンダラスゴシップパニック。
「これも真実?あれも真実?全てが真実?君が観ているこんな小さい箱の中に流れる映像、それこそが君の憂いている世界の真実?」
 ねえ、誰かが君に、そう教えた?


 10本の指にロリポップ。
 甘いお菓子をあげるから、正常になるお薬飲むんだ
 いつしか眼球は固定されて、絶え間なく幾つもの映像、映像、映像が、網膜に焼きつき受信され、観続けるほど狂ってゆく  甘いキャンディ舌の上で溶け出し、喉に詰め込まれ落とされる錠剤、錠剤、誇大妄想自意識過剰、精神変調パラノイア、
「テレビで世界を調べたの?」
 精神科医たちがぴったりと僕の横で、カルテに走らせるカリカリカリカリペンの音
「たとえばこれらはすべて作り物の エンターティンメントフィクションであるなどと 疑いもせず?」
 せけんしらずの おさないこどもの こどくなこころをささえるための それは 夢 夢 願い はかない
「四角い箱の中だけで、世界の全てを、知り得たの?」
 もう沢山だ
 もう止めろ
 もう否定するな
 これ以上否定するな
 でなければ僕は
「君はこどもで。世間を知らない。全ては頭の中の。その類まれなるとびきりの頭脳の中だけの。誰もきみには教えない。誰も君には触れてこない。そんな状況で君は たったひとりぼっちの君は テレビの中に展開される世界だけを」
 でなければ僕は
「観続けてどんどんひとりになる。歪んでゆく。狂ってゆく。そして考えた 世界にじぶんの 居場所を つくりだそう と」
 なんのために生まれてきたのか
「精神科医の観点から言わせてもらえば、こうだ。君は立派な、パラノイアだ」
 なんのために、生まれてきたんだ
 せんせいさいきん変なのです
 我が子が わがこが
 自分に理解できないことばかりを 言うのです
 おとうさん



「ふざけるな」



 セットアップ。
 受信機能、解除。データバックアップ、デリート。
 モニターの通信回路、起動。転送開始。
 音立てて開く。起動を始める。
 この目が起動を始める。
「聞いてきた話だけで、お前の組み立てた仮説にしか過ぎないくせに、よく言う」
 ここにある、さっきまで映像を映し出していた、テレビのモニターが、次の瞬間ぶつりと音をたてて消えた。巨大に被さる精神科医の笑いの口が、ふと膨張を止める。
 この画面だけでは、お前の脳内のモニターだけでは、役不足だ。
 すべてを捉え切ることなど完全に不可能だ。
 やってみせる、者がいるならば、それは他でもないこの
「僕の、名前を、告げてみろ」
 お前たちが さんざん 呼んでいたんだろう  確かにその耳で 聞いてきたんだろう 
「僕を、誰だと思っている」
 いまだ かつて 人類が 生んだ ことのない
 そう 神が 殺し そこねた それは
「悪魔くん。君の名は、悪魔くん。世界を君の色で塗り替えようとしている」
 ロイド眼鏡の奥の目を、ククッ、と細めて笑い、精神科医は愉快そうにそう口にする。
「異常だよ。世界を一色に塗り替えようなどと、考え出す時点で気がふれてるよ」
「興味はないか?」
「ほう、そう来るかね」
「お前が、狂っていると思う僕が、これからどんなものを造ろうとするのか、興味はないか?」
 返事は無い。押し黙ってニヤニヤ、じぃっと見つめたまま、笑い続けるだけ。
「あるんだろう、お前には」
 興味深い、症例なんだろう?
 正気でないものが創り上げる 理想郷 その名は
「君の“色”に誰が、付き合ってくれるとでも?」
「呼び出すのさ、これから」
「呼び出す?」
「そうだ。その為に色々、調べていたんだ。後は機会を利用するだけだ。きっと集まらざるを得ないものが12人、この奥軽井沢に」
 ジーザス・クライストの12使徒、ね。精神科医は低く呟いて、途切れたテレビの画面に目をやると、
 そのままゆっくりと近づいて、ばちり、と、ひとつ。何も映さない暗いモニターの表面を叩く。
「どう変える、つもりだい?」
 あぁ
 そうだな

「僕が悪魔と呼ばれているなら」
 お前たちが 僕を 悪魔と 呼ぶのなら
「悪魔らしい方法で、世界を、変えるよ」

「結構」
 何が気に入ったのか知らないが、
 精神科医は大変満足そうに、ゆっくりと大きく頷いて、そしてそのままくるりと背を向ける。
「もう帰れ。何度やっても昨日と同じことの繰り返しだ。僕は忙しい」
「そうしますよ」
「どうせ明日も来るんだろう」
「いいえ、来ません。もう訪れることはありません」
 ここへ来るのはもう、これが最後。
 でも、いつか、また会うかも知れない。
 意味深にほのめかして、奴は、ここに入って来た時と同じ動作を巻き戻しているかのように、巨大な鞄に書類を詰め白衣の襟を正しそしてこちらを一度も見ないで扉の方へスタスタと歩を進め、
 ドアノブに手を掛ける、直前、いきなり振り返り何かを放ってよこした。
 毒々しい緑のキャンディロリポップ。
 吐き気がする。
「ひとつ、忠告と、聞きたい事を」
「何だ」
「“頭の中”だけで体験が非常に不足している君。これから進む過程の中で、一度、“世間”というものを知ると」
 君は多分そのままでいられなくなるよ
 “今”のままでは いられなくなるよ

「そのテレビは、もう観ないのかい?」




 扉を閉めて、階段の下で、
 奴が、使用人と話している声が聞こえる。
 確かに変わったお子さんですね あぁ大丈夫ですご心配無く
 3×3×3の答えがわかるから、小学生としては問題ありません
 いいえ そういう問題です
 コミュニケーション不足の不安と、そうですね、
 世間知らずのお子さんです
 家庭教師でもつけてあげるといいでしょう

 思わず僕は吹き出した。
 成程ね。
 それなら、好都合だな。
 見透かしていたとでも言うように、奴め、洒落たことを



「テレビは もう 観ないのかい?」
 セッティングは終了した。
 これからは僕の、この両目が
 世界を受信する、モニターだ。

 この2つに映るものこそが 僕の信念の全てだ。


 そこで観ていろ
 狂ったこどもの造り上げる
 千年王国の開幕だ。