手をつないで、ランランラン。雨に唄えば、ランランラン。二人一緒ならいつどこで何があろうともへっちゃらさ。風が吹いて、陽が照って、時間は過ぎ行きてそれでもどこまでも行こう手に手を取って、そうさぼくたち、ふたりなら。史上最強に無敵で素敵な二人組。ふたりそろえばいつだって、ハイテンションでゴージャスで唯一無二の一等賞!ぼくらにゃ誰も敵わない、誰もが見惚れるスーパー・スター、 そんな。
 輝いていた、あの頃。




フ  ラ  メ  ル





(春の朝。快晴。突風に傘が舞う。捨てられたボロ傘。汚れ穴だらけで骨は折れ、地に落ちる)
 そんなに悲しいわけでもなかった。
 今、この身に起きているこの状況は、客観的に見てもまったく絶望的な現実であるという事を、認識できてはいるのだが、そんなに悲しいわけでもなかった。
 さっぱりと実感した。それ以外に表す仕様が無い。
 そうか、これが、『捨てられた』という状態なのかと。
(上空に鳥のさえずり。風は冷たいが陽ざしは柔らかく暖かい。土の匂い、草の葉にこぼれる朝露の光)
 どうするか、と考えかけて、どうなるものでもない、と思った。
 ただ、終わる、本来それだけだった。思考を持ってしまうとやっかいである。持ってしまったばっかりに余計な事も付属する。自分は今現在、終わってゆく、過程にあるという、
 思考を持つと、感情を持つと、その状況への認識を、明確にしようとはしないものなのだな。
(そうだねあの日の思い出が、こんな結末なんか嫌だよと、悲鳴を上げて、すがり付くから)
 吹く風、散る花、離れた、手。万物流転に然る物。ならばもう目を閉じるしかあるまいと、左様、ならえば、おさらばと。
 それでも未だすがり付こうと未だ伸ばそうとしてしまう、この記憶を感情を、骨を断つ思いで折り畳もうとしたその時。
 足音が聞こえた。あの子なのかと思った。からりころりと足音が聞こえた。晴れた歩道をゆるやかに、歌う調子で、穏やかに。あの子がここへやって来たのかと思った。空高くもう一度私を広げてくれる為に、誇らかに愉快に高らかに。口笛吹いてさぁ、行くよ、手に手を取って、ぼくたち、ふたりは、
「見つけた」
 雨の日も雪の日も晴れの日も多分風の日だってきっと、ふたりなら、最高の
「あなたを迎えに来たんですよ。ご案内したい町があるんです」
 あの子なわけがなかった。
 細い足首に添えたからころ、下駄を履いて佇んでいる。不自然な程伸ばした前髪で顔の片側を隠して微笑んでいる、少年が、立っていた。
 太陽を背にして、逆光の下じっとこちらを見下ろす。左側だけ覗かせた大きな瞳が、心配しないで、安心して、少しはにかみながら真摯に伝えてくる。
「きっと気に入ってくれると思うんですけど」
 けれども声が少し、震えていた。
 泣き出したいのを、こらえている時の、そんな響きに似ていた。

 どうして泣くの?
 泣くのは、悲しい時。
 悲しいというのは、自分では、どうすることも、どうしても、何ともならない、何も出来ない、
 どうにもならないそんな事が、起こってしまった時に湧く感情だよ。
 取り戻せない、得られない、分かち合えない分かり合えない、消えた失った置いて、いかれた、色々沢山。
 色々、沢山、世の中には、起こる。
「僕たちみたいな妖怪の住む町なんです。妖怪横丁って、呼んでるんですけど」
 それでは君は、人間ではない?
「えぇ、鬼太郎といいます」
 こうやって時折、人間の住む場所では住めなくなってしまった、仲間を、見つけては、『横丁』に案内しているのだと、少年は穏やかな少しはにかみがちの声音で微笑みを向けてくる。
 からころ下駄の乾いた音を、アスファルトに響かせながら。黒と黄色の縞模様の古びた様子のちゃんちゃんこを、川風にばさばさ、煽らせながら。
 川沿いの一本道を、少年は私を握り締めてゆっくりと歩いて行く。
「いい、天気ですね」
 ほんとだね。
「昨日まで土砂降りだったのに、今朝になって、嘘みたいに晴れ上がって」
 軽く仰いで、目尻を緩ませ、口の中で笑って、少年はしかし本当は。空など天気など何も感じてなどいないように、見えた。
 この道の、道の先へと、道のりを、いかにも穏やかに眺めてとぼけのんびりと、向かう。様に見せかけ装って、その実。
 握り締めた手のひらの力が抜けないでいる。
 私を握り締めたその瞬間からずっとその一点に、意識を、やり続けたままだ。気遣う。気遣う気負いが空回る。こわばる張り詰める。こんなこと何でもない、何でもない事だから安心して。大丈夫。そう伝えたくて伝えようとして伝えられたのか不安で震えている。安心させたくて、安心させようとして、力が抜け切れなくて上の空震えが止められないでいる。
 私の柄を、掴む力の強さ。そうだこれは楽しんでいる時の、それではない。
 わかるのだ。伝わるから。今までこの柄で、触れてきたのだから。
 たくさん触れて、きたんだから。
「横丁に着いたら修繕屋に行きましょう。ふふ、あそこには手先の器用な発明家が居るんです。紹介したいな」
 少年。少年。なぁ少年。
「何ですか?」
 ちょっと私を、広げてみてはくれまいか。
「えっ?」
 楽しくなるかもしれないよ。
 その言葉がとても驚きだったのか、少年は思わずといった体で立ち止まり、大きなその隻眼をこぼれんばかりに見開いて、まじまじと、まじまじと私を見下ろした。
 両手で抱え直し、尚も、見つめる。折れた骨、開いた大穴、風に吹かれる裂けた痕跡。見つめる目は震える。全身小刻みに振動。動揺。困惑。みるみる手に取れるように伝わってくる。
 少年。なぜ君がそんなに悲しむのだ。少年。
「……ダメですよ。風が強いし、壊れちゃいますよ」
 壊れたって死にゃあしないよ。
「……ハハ、晴れてるし。雨の心配だってないんですから」
 こう見えても私は日傘の機能も兼ね備えていたのだ。雨晴両用というものだな。ハイカラだろう。
「だからってそんな、……風も、強いし。これ以上無理なんかしたら、」
 ボロ傘を差して歩くのはやはり恥ずかしい行為だろうか。
「どうしてそんな風にあなたは、……そんなことないです。失礼しました。そんなこと、ないんです。そうではないんです。修繕すればまだまだ全然使っていくことが出来るんです。きちんとして立派な、良い、品です。……なのにどうして簡単に捨ててしまうんだろう」
(どうして忘れてしまえるんだろう?どうしてそんなに簡単に、なかったこと、に、してしまえるんだろう?)
「……あなたこそ、どうして」
 唇噛んで、我慢して飲み込んで、諦めたい素振りを滲ませたまま、少年は不思議そうに自嘲気味に私に問うた。押し込めた感情が不安定に揺らぐのを隠しきれないでいる弱さを、震える語尾が知らせていた。
「どうしてそんなに、今、差して欲しいなんて」
(つらくなってゆくだけでしょう?)
 楽しくなるかもしれないよ。
「あなたが…?」
 少年。君がさ。少年。

 広げてごらんよ
 楽しくなるかも
「辛いのはあなたです。僕じゃ、ない」
 広げてごらんよ
 楽しくしてあげよ。
 今までずっと、どんな嵐も土砂降りの涙も。くぐり抜けて来たんだそんな時、ならば、お手の物。さ。では先ず閉じたこの状態からステッキ代りに前奏のステップ。奏でる次第に鼻歌メロディ飛び出して来る。一緒に歌おう、何にする?
「止めて下さい」
 ぽん、と音立てまるで花火。空に開けば、いよいよここから私の真骨頂だ。例えばほら、今ならこの破れ目からヒラヒラ、青空が覗く。ここから覗ける小さな空は君だけに見える空。持ち手は丁度良い握り心地だろ、上空高く掲げたり、ステップに合わせてくるくる回転、どこか浮かれた小粋な仕草。気分はだんだん舞台の上の、銀幕の中の、君が望むなら何でもイケる。道化師俳優ディーバにスター、拍手喝采、雨の音!
「止めて下さい、辛いから!」

 ひどいよ。
 ひどいよ、ひどいよ。うつむいた少年のしぼり出すような呟き。ぽたりと、地面に、つたうのは。おやおや少年は泣いている。ぎゅっと噛み締めた唇、わなないて、笑顔の出来損ない崩れ落ちて、隠すこともしないで少年はぽろぽろ、涙を、流し続けた。ひどいよね。あなたは、こんなに、優しいのにね。
 思い出だって、感情だって、あるのにね。
 なのにどうしてこんなことにならなきゃいけないんだ。
 捨てた当の人間は気付きもしない。気付くわけも無いんだ。そんな事って、そんな現実って、あんまりだ。なのに、なのに。それしかないなんて どうしようも ないんだって
 ひどいよ。心も思い出も一方的にあっという間におしまいに無かった事にされてしまうしかない、そんなのってもう そんなことならばもう、もう。
 僕は嫌だ。低くしかしはっきりと言葉にし、少年は顔を上げ空を見据えた。もう、嫌だ、こんな繰り返しこんな事ばかり!いつも歯を食い縛り拳を握り締めるばっかりだ!どうしようもない事ばかりなのならもう嫌だ。忘れてしまう、気付く事は出来ない、そんなならばもういっそ。期待をするだけ無駄なんだいつも、信じたくても、無理なんだだから!それならばもう僕は!
 少年、少年、どうして泣くの。
 泣くのは、悲しい時。
 悲しみや悔しさ、さびしさや、やるせなさや、沢山の感情が氾濫して決壊する。
 押さえ切れなくて、あふれ出してしまう。
 感情を持つもののみに与えられた
 感情を。
 泣くなよ。私の言葉は少年の機微を、煽るだけの逆効果にしか過ぎないようだ。すれ違う人間が怪訝な目を向けてくる。春の朝、歩道で、ボロ傘握り締め肩を震わせすすり泣く少年、という様子は、何とも景色に不釣合いな異様であるに違いない。しかし理由がある。
 誰も知らなくとも、ちゃんと理由があるんだ。全てに。
 泣くなよ、泣くのではない。私の身の内に、あたたかなものが流れ込んでくるのを、じわりと染みるように感じた。泣くな、少年の涙を思うごとに。かける言葉を、発すごとに。
 ……なんであなたが、そんな風にするんだ。伏せた顔の、長い髪の下からか細く、半ば自嘲交じりで少年は声音を震わせた。優しく、出来るのは、優しくされた、思い出があるからですね、
 その思い出本人にあなた、終わりにされてしまったのに
 どうしてそれでも、優しくすることが出来るんだ、慰めたりなんて、……逆でしょう、ハハ、本来なら僕がしようと、思ってた事だしなければならない事なんだ、それなのに、
 これじゃあまるで僕が捨てられたみたいですよ
 捨てられて裏切られて忘れられて悲しがってるのはまるで僕の方みたいですよ


(レッツ シーーング イン ザ レーイン……)
 雨に うたえば こころは たのし


 だから私は、微笑んだのだった。
 例えば。少年、ここで傘を広げ、歩き出したとしよう。
 道行く人、通り過ぎるだけの誰かが、きっとこちらを向いておかしな目をする。
 何だあれ、ボロ傘晴天、可笑しいの。みっともないの、奇妙なの。
 おんぼろボロ傘、化け傘だ!
 お前に何がわかる。少年はそれらひとつひとつ全てに対し反応をする。何にもわかっちゃいないくせに、わかろうともしなかったくせに!ともすれば敵意を含んだ憎悪でもってすら、少年は私を、何かを、何者を、守ろうとする。
 人の自分の守り方さえあやふやなくせに。
 口に出すのを堪えていた、食い縛っていた、思いを。ぽろぽろひとつっきりのその瞳から、溢れさせてしまいながら。
 溢れるのは諦め切れなかった諦念。弱さを凌駕する自意識。傷付きやすいのにどうしても、寄り添ってしまう心。
 馬鹿だよねえ。痛々しいねえ。かなしい、ねえ。
 それでもこの少年は、そう、それでもだ。必死で守ろうとするんだ。
 だから私は、思わず微笑んでしまったのだった。優しい子だな。
 だから微笑んだ。微笑むという感情を、今において君を通して私は、知り得た。
 ありがとう少年、優しい子だな。


 雨に うたえよ いざや たのし!
(口笛吹いて さぁ 行くよ 手に手を取って ぼくたち ふたりは!)



 広げておくれ。
 一緒に行こう。
 彼がそう言うから、僕は面食らってしまった。どうしてそれでも、彼はそんな事が言えるのか。涙で腫れ上がっているこの顔がとても馬鹿らしいじゃないか。呆れ交じりでななめに見下ろす。彼はとっても上機嫌だ。
 広げるがいいのさ、少年。私は歌いたくなった。今とても歌いたいのだから。
 雨なんか降ってないですってば。傘のくせに非常識ですね。
 おや、笑ったな。君は笑ったな。悪態もやっと飛び出たな。それでいい。そうさ君はだいたい、若いくせに、保守的に過ぎる所があるぞ。そうら、常識って何かね。
 晴れの日に傘差して歌って、かまうものか、そうしたいって者がいるのなら。
 広げておくれ。
 一緒に、行くよ。
 快晴ぱちりと、ボロ傘、開いた。浮かれ調子の外れた歓声はじける。あぁもう、そんな声、慣れてないだろうにね。はじけてみせる優しい傘の、頭上に掲げ、優しい日陰。天高くさぁっと、雲が散る。
 ゆく雲。ゆく風。ゆくなら、いいさ。
 笑うから。それでも。笑うから。笑うしかないなら、笑うから。
 受け止める。
 輝いていた、あの頃を。
 大歓声で。
 手拍子で。
 少年、少年、歌うがいいよ。歌えってそんな、またしても面食らう。何を歌ったらいいかわかりませんよ。声を出せばいいんだよ。傘は上機嫌、上天気。柄を持つ上ではしゃいで回転。人間に見られたら大変ですよ。ふふん、それなら、見せ付けてやろうじゃないか。
 傘が揺れる。ごらんよ傘が揺れる。揺れて踊って歌声、飛び出す。びっくりするよな音痴だ。なんてことだ。僕は思わず、笑ってしまった。揺れるボロ傘、裂け目に覗く青い空、優しい日陰、僕は思わず笑ってしまった。一度笑うと、止まらないんだ。お腹がよじれて涙が出てくるんだ。
 調子出てきたな、いい感じだぞ。嬉しそうに傘は更に声を張り上げた。もうやめてくださいお腹苦しい、音痴にも程がありますよ!下駄が鳴る。弾んだ響きだ。僕の足。いい感じだね。あぁ、なんだか、可笑しいなぁ。笑っちゃうのが、収まらないなぁ。楽しいのかなぁ。楽しい、なあ。
 楽しくなっちゃったなぁ。
 こうやって歩いて、ゆけるかなぁ。

 少年、少年、手を叩こう。
 こうですか、こんな感じ?
 うまいぞ少年、手を叩いていこう。

 手を叩いていこう。
 きっと無敵で最強、さ。





 誰かが横を通り過ぎて おかしな目で見ていくけれど
 また幸せになれたんだ。
 まだ幸せになれたんだ。