よ る は う ほ し
夜 這 星








 僕はいつも、人に見せるために笑います。
 そうではないのですか。では、笑い顔とは、なんの為に作るものなのですか。
 そら。そうでしょう。人に安心感を与える為です。自分はあなたの味方で、敵意など抱いていない、あなたが不安に思うような事は一切無いのだと、伝える為に。
 こうします。こうやって、口の端を上へ持ち上げて、目じりを垂らし、時には口の中を開いて見せて、腹筋を震わせ声を出し、
 自分ひとりで居る時に、こんな事をしてみたところで意味は無い。
 僕は、いつも、
 怖くて泣いているあなたに向け、怯えてうずくまるあなたに向け、震えながら逃げ惑うあなたに向け、
 この世で僕を呼ぶすべてのあなたにあなたにあなたに向け、
 そうします。

 僕はいつも、笑います。
 信じてもらう為、笑います。
 口に描く形。
 口の上に描く形。
 僕はあなたを脅かす為に現れた存在ではないと、わかって欲しくて、伝える為に、描きます。
 するとやがて相手の顔がどんどん、ほころんでゆきます。僕はそれを見るのが嬉しいです。
 嬉しい。わらっている、嬉しい。これは僕に向けられた笑顔なんだろう。僕と向き合っているから僕に向けて発信させたものなんだろう。
 うれしそうだ だから うれしい
 だけどそれでどうして僕はうれしいんだろう
 彼らはこんなことを口にする。
 ぼくね、わたしね、きたろうさん
 あなたのことを
 ずっと だいすき だったんだよ
 
 無条件に無防備に真っ直ぐに、手を、差し出して来る。つないで欲しいと言われる。
 真っ赤な顔して、きらきらと輝く瞳で、はしゃぐ声は引っくり返っている、どうして
「鬼太郎さん 本当に助けに来てくれたんだね 夢みたいだ!ずっと憧れていて」
 あなたの望んだ僕は誰だ
 伸ばされた手。真っ直ぐに、こちらへ向かって、僕へと向けて、伸ばされている手。疑いようのない。つかんだら凄い力でぎゅうと握られた。
 全身が強張る。握られた手の力強さに、暖かさに、信じることの信じられていることの、揺ぎ無さに確かさに。衝撃に。
 僕は誰だ
 鬼太郎だ
 鬼太郎とは誰だ
 目の前の この者に 求められたその 相手だ
 そしてそれは
 僕の名だ
「まるで 星だった」
「いつも 遠くで 輝いているような まるで」





 空を見上げた、人が言う
「やあ、星がまたひとつ おちるよ」

 耐え切れなくなって落ちるもの
 それが流れ星。
 輝き続けていられなくなって
 天から転げ墜落する
 地上にて、それに願いをかける人
「流れ星に 願いをかけると その願いは 叶えられるんだって」
 






 夜半過ぎ。
 庭で小鬼が、泣いている。


 敷き詰められた白すぎる小石の上に、むき出しの膝で這いずって。うつ伏せに突っ伏した顔をひきつけを起こしたように擦り付ける。痛いだろうに。知っているだろうに。わななく指先で砂利を掻く。幾度も掻く。押し付けた口から漏れる声は、つぶれて割れて、聞くに堪えない。とても不快で耐えられない。
 あぁあ、あぁあ、いつまで吠える。あぁあ。それはまるで負けた犬のようだな。おまえ。
 惨めで、浅ましく、未練たらしく、いつまで続く。
「人の家の庭先で。恥知らずにも程がある」
 五芒の形に漏れる灯火、ちょうちんをかざされて浮き上がった、その顔は。ひとつしかないそのおまえの大事な眼でさえもが。まぁ、なんと、見るに耐えない、
「嫌がらせかね」
 痛々しい。思わず眉をひそめる。
 ああぁあ、あぁあ、あ、あ、あははは、こんばんはいっこくどうさん、あははは。腫れ上がり傷だらけで血に染まり、いつもを装った体の小鬼は、
 いつもの形の寸分違わないそれを、貼り付けている。
 表情の上に、口の上に、いかなる時でも変わらない、それを、きっちりと。
「何があったというんだね」
「さみしいなあ、孤独だなあ、だってね、あははは」
「何があった」
「願いをかけたら、そこでおしまいなんだ」


 だいすきだといったね
 僕のことをきみは そういってくれたね
 じゃあまた遊ぼう また一緒に いつ会おう なにして遊ぼう また会えるね また会えるんだね 僕といっしょになにしてあそぶ
 助けて下さい。
 助けてあげるから あげたから だから 次は
 助けてもらったから、そう、だからね、
 次ぎの用事は
 用事は、無いの。
 夜中、小鬼が、泣いている。
 その姿とてもとても。見るなら誰もがきっと、
 あの者の、あの時の、あの姿とは決して
 同一人物だとは、思わないだろうよ。
「優しい言葉を、頂けるんだ。嬉しくなるような事、言ってくれるんだ。僕が頑張ったら頑張っただけそれはもう、目眩がするくらいに」
 またいつでも遊びに来てね。
 それじゃあばいばい。ばいばい。
「でもそれだけ。永久にさよならだ」
 だっていつまでもおんなじところにいれないから。時間は過ぎる大人になるから。忘れたいから。
 子供じみた夢だったと。子供の頃の、恐怖体験だったと。引きずっていては恥ずかしいことだと。
 それになにより
 憧れだった。あなたはぼくの(わたしの)憧れだった。遠くにいて輝いていて
 憧れは憧れのままでずっと輝いていてこちらに降りてくる筈が無い。
 夢だ。空想だ。ほんとはいないもおんなじだから。
「会いに行っても、不思議な顔で」
 あれあそこに立っている、こちらを見つめてみすぼらしい様子の、ちゃんちゃんこ、下駄、長い髪、気味の悪い知らない子、誰?
 結局いつも、ひとりぼっちだ
 ひとりぼっちで いるがいいよ
 そうでなければ成り立たない
 だってあなたは
 遠くに輝く あの 希望の
「では何故言わない」
 その瞬間、つらりと尖って、小鬼の目が、こちらを見た。
 今初めて、こちらを見た。
「今更こんな所でそんな風に泣きわめくのなら、どうして初めから何も、何も言わずにそのままなんだ、君は」
 いつだって。
 ハハハハハ。高い声が耳を突いた。笑い声というよりも、凶器だった。
「僕が出来るわけないじゃないか」
 泣くのか、晒すのか、いつになったら君は、さらけ出そうという気になるのか。
 そうでなければ永劫そのまま、堂々巡りだ。
「僕がそんなこと、そんなこと出来るわけが、ないじゃないか」
 己が一番、知っているくせに。


「君はいつだって口にしない。自分の思いを口にしない。要の所を伝えるのを拒否している。拒否して後悔ばかりしている」
 諦めているには違う。諦念とするには君はとても甘すぎる。
「後悔が癖になっている。陶酔できてりゃ結構だが、いずれ決壊する。決壊すると君は君の形を失うぞ」
 己の居場所さえ滅ぼしかねない性癖に、君はどうしていつまでも、惑っている。
「滅びたいか。もう今にも消え去ってゆきたいか。なぜそこまで己を閉ざす。己を閉ざして、破綻を待ち構える」
 血塗れ小鬼はゲラゲラと、常でない声を上げ手を叩いて笑った。きろりきろりと鈍色の、潰れかけた片目を吊り上げ、不自然なまでにこちらを凝視していた。
「あなたに何がわかる」
「わかるわけがないだろうこれっぽっちも。隠した扉の中をこれ見よがしにちらつかされても興醒めだ」
「僕が。なんで。いつ。そんなことを。したと」
「人の家の庭先で、丑三つ時に泣きわめいて」
 まぁ如何にも聞いてくださいとばかりに
 悲しいよ悲しいよ悲しいんだ吐き出させて受け止めてと縋らんばかりに。
 貼り付け描いた顔の上の、その笑いの形。
 貼り付けたまま、決壊したいか。そうではない。そうではないんだろう、ほんとうは。
 何故いつも、閉じている。
 お前は何を、封じている。
「暴いてやろうか」
 そうして欲しいか、無理にでも。
 そうして欲しくて、ここに居るのか。
 私かお前か それは、どちらだ。
「暴いてやろうか、鬼太郎、くん。」



 ことばを、あやつる、
 ことばを、あやつる、あんたなんかに

 つたえるすべをしらないものの、まことがしれるはずもないだろ。
「流れ星は、這いずる星とも書くらしいですよ、一刻堂さん」

 くちにできないんだ
 くちにしたそばからそれは、言いたかったことのすべての輪郭を失って、がらがらと崩れてちがうものに変貌してしまうんだ。
 わかるか それが あんたに わかるのか
 僕が口にしたかったすべての残骸が、積もり積もって身を貫く痛み、あんたにほんとに、わかるのか。
 あぁこうしてまた僕は拒否する。
 扉の奥には空前絶後の物事が、ざくざくと埋まっているかのように、演出して見せかけてさぁ鍵をかけて、
 ほんとうは空っぽだってこと知られたらこの人には。
 空っぽしか詰まっていない僕を、
 この人、だけには。
 あんた、なんかに。

「見上げた、星が、這っていても。あなたはそれを同じと思えますか。許す事が、出来ますか」

 言えない
 言えない
 思ってること
 どうしても。




 どうしようもない。
 ほんとうに、どうしようもない。君という存在は。溜め息を付いて首を振る。
 それで私にどう理解しろというのだ
 理解など初手から望まぬとまだ言うか。
 まぁいい。所詮、君は君の呪縛から解き放たれぬのだ。自縛こそ生きる術だとそこにしか理由を求められないのだ。それでそこから何が見える?見えるものなど、何も無いと、諦めた振りで安堵を覚え。愚かな。あまりにも愚かで哀れな。まぁいい。それでこそ君なのだろう。君自身を形成せしめる要素こそがそれなのだろう。
 例えまぐれに心を開いてみた所で、その瞬間。君は君では、無くなるのだろう。
 さぁもうわかった。わかったから。這いずり続けるその細い腕をつかんで寄せる。あやしてやるから今日は優しくしてやるから。その言葉がお前の耳に落ちるや否や。ゲタゲタゲタと耳慣れない耳障りな笑い声が生じ、この小鬼からなのかとわずかに指の力を緩めれば、
 刹那、一声咆哮を上げるように、小鬼は跳躍する。髪を振り乱し月明かりに浮かぶ、自傷の血にまみれた不様な姿。笑っている。
 口を吊り上げ、眼を光らせ。ぱっくりとその暗い深淵の中身を覗かせた。お前の虚を見せ付けた。
 おまえの膝など誰が望むか。
 人で無い者特有の声音で、真っ直ぐにこちら側を凝視し、一言。そう言った。







 やぁ またひとつ 星が堕ちるよ


 ねぇ僕は描きます。いつだっていつでもいつだろうときちんとここに描きます。こうやって、口の端を上へ持ち上げて、目じりを垂らし、時には口の中を開いて見せて、時にはいらない声を張り上げて、
 ちゃんと見ていてくれますか、自己犠牲の自己陶酔、笑う僕を見上げる誰か、救いの数だけ形を描くよ。
 いつしか誰かがこう言うの
「君は本当にわらっているのか」

 だからぼくはわらってやらない
 わらってなんてやるものか。