キルドールモラル (三部戸田/二胡)




 あなたがこの場所へ来ようとするその前に。あなたの事を知る者はもう居ないし、
 あなたが護ろうとしてくれるその前に、私は死んでしまっていました。
 今はもう遠い昔の事です。
 あの時あなたを待っていた者みんな、あなたが目の前に現れたとしても、
 誰も思い出せず困ってしまうの
 可哀相にって泣いてあげることならできるけど
 終わるっていうことは

   忘れられたってことなんだ。




 ―――――ある日ぼくが町を歩いていたらおいしそうな匂いのご馳走の匂いがして、随分と忘れていたような匂い、かつてのなんでだろうもう暫く長い間遠ざかっていたような匂いでふらふらと引き寄せられるようにショーウィンドウの中へ入ったら、ぱしんと音が響き渡りあろうことかその瞬間に空気が一斉に割れて粉々に砕け散ってしまいました。
 店の中の人たちは皆とても恨めしそうな顔をして一時にぼくを見ます。ちがうぼくじゃないぼくじゃない、違うだろそんな顔をされるのはぼくなんかのはずがない、ぼくはびっくりしてよろめきながら後ずさりで外へ出る、その調子でまるでかかとが弾んだみたいにぐるりと裏返って、ぼくは倒れてしまった 助けて下さい
 言ったな言ったなとうとう言ってしまったな おまえが言ってはならぬ事とうとう言ってしまったな 天から声が降って来た ぼくに覆い被さる降って来た、ちがうちがうちがうぼくじゃない大声で叫ぶ時瞬間すごいスピードでかたまりがぼくにぶつかり、ぼくの体でべしゃりとはじけ、そして世界があっという間に、あっという間に全部の世界がていしして 停止してしまいました世界が一瞬のうちに止まってしまいましたただ自分とゆう固体だけがそこにありましたちがうぼくじゃないぼくじゃないんだちがうだろう、こんなことをするのはぼくじゃない こんなことになってしまうのはぼくじゃないぼくのはずが無いんだぼくは泣きそうになりながらぼくのすきな子に話しかけた助けて
 え何をいっているのわからないわ ぼくのいっとうすきな にんげんのすてきなおんなのこに話しかけた助けて わたしあなたの言うことよくわからないわ
 背筋をぴんと伸ばし、いつも、直立不動の誇り、仁王立ちで顔を高く上げてなきゃならないのに
 できないんだできないんだどうしてなんだろうもうそれができないんだ 飛んじゃったんだ頭もズレちゃってもうなんか治りそうもないんだ わたしあなたの言うことよくわからないわ
 わたしあなたの言うことわからないわ
 まもりたいまもりたいまもりたいってなんなのそれしか掲げなくて 気分が良かったの それだけだったの それだけしかなかったの
 仕方がないのでぼくは病院へ向かおうとするもう夜で辺りは暗く見えたしかし時計は3時を示している、そうだぼくは御昼御飯を食べるとちゅうだったんだあぁどうしてこんなことに  すみませんあたまがおかしくなっちゃいそうです助けて下さい 病院のドアは硝子窓顔の見えない女の人の声一つ せんせいは帰られました明日股来て下さい そんなこと言うなんて気がくるっている、駄目だ助けて下さいあたまがおかしくなっちゃうんです 明日まで我慢をしてとりあえず寝て下さい お願いだそんな事なんて言わないでぼくをぼくでいさせてあんな目をされる筈なんか無い、ぼくを忘れる筈が無い、お願いだよぼくを忘れさせないで忘れないで おぼえていてくれ消さないで
 ぼくはもっとたのしくてあの時みんなもたのしくて それでもあはははもう出番はおしまい最初からなかったみたいにもういらない 背筋をぴんと伸ばし、いつも、直立不動の誇り、仁王立ちで顔を高く上げていることのできなくなった 役立たずなど。 夢を返せ 希望を返せ おまえに捧げた時間を返せ
 ちがうぼくじゃないぼくじゃない ここにいるのは ぼくじゃない 助けて ただ自分とゆう固体だけがそこにありました全ての関係から壊れてしまってちがうぼくじゃないぼくじゃないだんだんぐるぐるしてふーーーっと世界が閉じられてきました。ぼくはなんだかウオーウオとわめき、びょういんの石畳をへらへら降り、その調子でまるでかかとが弾んだみたいにぐるりと裏返りそのまますごいスピードでどこか遠くへ走り去っていってしまいました。






 あの森の奥にはね
 忘れ去られた森
 子供が住んでる
 忘れ去られ、もう誰も、近付こうとはしない森
 オバケなんだ オバケがいるらしいんだ
 あの森の奥には
 近付いたら帰って来れない
 境界線
 正気と
 あちら側の世界への


 あっちの世界にいかないための教訓のための物語なのさ。
 行ったら帰ってこれないよ  それっくらいが あぶない 危険い。