青年の遺書 (もやしもん・直保/サトル)




詳細はひどく曖昧だがおそらく10年以上前。俺がまだ10年生きていなかった頃と思われる。

かもすぞー
かもすぞー
かもしていこー

騒がしい騒々しいやかましいかしましい、あれかしましいって女に使うんだっけ?まあとにかくいつも通りわいわいうるさい無数の、黄色い霞みたいにうじゃうじゃと部屋の中に満ちる麹どもの中に、一匹だけ静かに隅っこでたゆたっているのを見つけた事があった。思案するように目を細めて(点が線になってるだけなんだけど)、胸の前で腕を組んで(どこまでが胸でどこまでが腹か、というのは無視することにした)、そいつは部屋の隅っこの方でわき目も振らずにデンプンを糖に変えまくっている仲間を尻目に思索の海に沈んでいた。

「おい」
『なんだホモサピ。俺は忙しいんだ』
「明らかに忙しくねえじゃねえか。何やってんだお前」
『俺は問うているのだ。何ゆえにここに生を受け何ゆえにこの命永らえるのか』
「……菌のくせにコイツ」

菌どもにももちろん個体差はあって、耳年増なのからカマトト、軟派に硬派、無口からおしゃべりまで幅が広いのはすでに実体験で承知済みだったけど、さすがに哲学的なのとは初対面で俺はやや面食らった。
そいつは細めた目をそのままに(だから線にしか見えねえって)ぶつぶつと呟き続けている。

『俺がかもした味噌を食ったお前がやがて土に返り、お前の体をかもして滋養とした土が草木を育てる。育った草木は地に生きる動物がそれを食し、或いは俺達がそれらをかもし、そして俺達がかもした何かをホモサピが食らう。出口のない袋小路。意味はあるのか?切れぬ輪を描き続ける事に意味はあるのか?』

こいつらの寿命は生まれてからかもすまで。かといってかもさなければ永遠に生きながらえる訳でもなく、そいつはコウジカビとしては破格に長寿を保ちつつも数日後にはたゆたう元気もなくなったのか蔵の隅っこでふらふらして、それでも何かを見出したのか顔の線、もとい目は満足そうに少し開かれていた。

『……ほもさぴ』
「……なんだよ」

満足げにそいつは飛び上がって、相変わらずうじゃうじゃしている仲間の(そして恐らくそいつにとっては何世代か先の子孫である)カビどものところへ飛び込んだ。

『俺は得たぞ』
「何をだよ」
『意味などない、と俺は得た。意味などなかった、俺の思案に意味などなかった、ただただ切れぬ輪を描く、俺達がかもしホモサピが食らい土となり植物が吸い上げ動物が食らい、それら輪の一部になること、それ自体が俺の命題であった、いのちの命題であった。故に俺は言うだろう、思案の海を越えた先に、俺は成すだろう』

かもす、ぞ。
ふらふらふら、飛ぶ力もおぼつかず、それでもそいつは満たされた顔をしていた。

「ふざけんな、お前大丈夫なのかよ。馬鹿なことばっかり考えてて、そのせいでもうこんなんじゃねえか」
『ああ、ばかだな。考えるよりもはるかに易い事だった。俺はただ成せばよかった。赴くままに成せば早かった。さあかもすぞ。俺はかもすのだ。それこそが我が命題、存在理由。だがホモサピよ、無駄な時間を過ごしたなどと俺は思わぬぞ。命題を知ったゆえに俺はかもす。知らず流れに従い、あるいは逆らうよりも俺の思索は僅かに有意義であったのだ』

さあ、かもすぞ、かもすぞ、デンプンをトウに。
そいつは腕を振り上げて高らかに謳い、至極幸福そうに微笑んで(そう、そう見えたのだ!)そしてたった一度デンプンを糖に変えて、蔵の空気に溶けて消えた。

そいつのかもした味噌はひどく都合の良い偶然である事に俺の家の夕食に並んだ。煮干の出汁に溶け込んだその味噌をいつもなら嫌がるのにどんな風の吹き回しかと訝しがる家族の視線と驚愕を尻目に、俺は口に含み、そしてそれがあいつの思索や苦悩などまるで関わらずいつもと同じ味である事に泣くのかな、と思ったけれどそんな事はなく、ただ少し胸が苦しくなった。
俺が味噌汁を飲んだのが少し例外的であっただけのいつもの夕食の時間は滞りなく進み、そして終わり、俺はすぐに胸の苦しさを忘れた。
忘れた自分が悲しくて、それを思い出した時、俺は悲しみよりむしろ懺悔に近い心持ちで搾り出すようにした涙の一粒ぶんだけ泣いた。


ただそれだけの、俺がまだ10年生きていなかった頃の話だ。