革命日の子供たち (ノストラ・ダニエル/サトル)




「メフィストはね、いやがるんだ。ホワイトチョコ」
白いチョコレートを齧りながらきみはけらけらと笑う。
――カカオを含まぬチョコレート(苦味を打ち消した熱のような甘さ)

「せっかくの甘露をどうしてわざわざ損なうような真似をするのかってね」
これはカフェインレスだから夜眠れなくならないよ。きみが差し出してくれた、香りと味はいささか安っぽいがそれでも珈琲と呼ぶに足りるものをカップから啜る。うん、チョコと一緒だからちょうどいい。
――或いはカフェインを含まない珈琲
(一切の刺激を排除した香り高いだけの紛い物)

「そうそう、ありがとう。母さん喜んでたよ。こんなにいいお肉を食べるのは久しぶりだわって」
タレがおいしいね、あの料理。肉?うーん、わからないや。…うん、タレがおいしいよね。タレ。
――或いはグレイヴィーに塗れたローストビーフ
(噛み締めれば広がるはずの血の匂いはかききえた)

或いは皆が幸せになる灰かぶり、狼と少女が手を取り合う赤頭巾
(みんな幸せ、みんなが笑顔、めでたしIt's a happy ending)
満足げに絵本を閉じる母親に腕に抱かれた子供は涙ぐましくも疑問を飲み込む。「ママ、結局このお話の教訓はいったいなんだったの?」そのうちそんな疑問も感じないまま子供は自分の子供にもっと幸せでもっと無意味に改められた童話を読み聞かせて満足するようになるのだ。嗚呼、嗚呼。

きみのやろうとしている事。
ぼくを助けてなされる事。
即ち緩慢に平和のうちに温まり崩れゆく世界の終わり。

手を取り、導き、正しい道を、それぬように外れぬように、「間違えたなら僕が導く、わからないのなら僕が教える」、素晴らしい、美しい、涙が出るよ。崇高な理念に煮込まれるように甘やかされて、人はそのうちどろどろに煮溶かされて、君の手がなければまともに歩けなくなるのさ。


「夕飯ちょっと物足りなかったなぁ。あ、きみも食べる?」
乾燥トウモロコシをフライパンで炒ればポップコーンになるくらい、当たり前で単純で解りきっている、つまらない。

大水や炎におびえて瓦礫のなかを逃げ惑えばまだ実感もあろうものを、平和の楽園でじっくりと幸福なままになぶられて己が幸福だと錯覚したまま滅び逝く、つまらない。つまらなくてなさけなくて、なんて残酷な滅びなのだろう。
意図しているのならきみは二つ名の通り、もし意図せぬというのなら。

「あ、痛。…ああ、爆ぜてないやつだ。たまにあるよね、もう」
時折混じる、泡みたいにふわふわと白く大きくはじけたポップコーンの中、はじける事を逃れて殻に守られたままのトウモロコシ。仲間の屍骸の海の中で死に損ねたまま厭われるなり損ない。幸福に惑わず生き残った種。

「えいっ」
きみが放り投げたなり損ないの種がきれいに半円を描いてごみ箱に落ちた。

意図しているのならきみは二つ名の通り、もし意図せぬというのなら、悪魔も恐れて落涙するだろうよ。