矛と盾と無欲の口先(ギャグマンガ日和・太子と妹子/サトル)




心をだなんて、さらけ出すだなんて。
心をだなんて、さらけ出すだなんて、そもそもねえ、さらけ出したそれは本当に私のこころなのかな。
言葉に組み立てた瞬間に微妙に違う何かに変貌してしまいやしてないか、カレーライスとライスカレーみたいなそれは本当に微妙だけれど決定的な違う何かに。
空に不変と浮かぶ太陽だってほら、白い黄色い赤い橙、もしや青に見える輩だって存在するかもしれない(空に溶け込んでしまう青)
なんてたよりないよるべないやるせない不変!
そもそも言葉に説明できるこころなんかそれはもはや建前であってこころではないんじゃないのかと、私は思うんだがなあどうだい。
……うん、違うんだ、こんな事を言いたいんじゃないんだ、ほらまた言葉が膜を張って、ほら油の浮いた水面みたいに見えるものをおかしくしてしまう。(虹色の油が浮かぶあの水面)
なんでかなあなんでかなあ、こみあげるものはいつだってひとつなのに。


(太子の話は要点の柱が僅かにそれてそのままどんどん地面へとくずれていく、ひずんだ家みたいだと妹子はいつも思う。いつもおもうのだ、が、今夜は特にその傾向があった。ちらつく雪を落としている雲のしわざか、夜だというのに外がやけに明るい。なぜか青緑をおびたうすぼんやりとした暗闇のなか、太子はしつらえた床にひとり潜り込んでその顔を見せることなくしかし眠ることもなく延々と喋り続けている。引きかぶった布越しのくぐもった、意味の錯綜した、致命的に判りづらいその話を妹子は辛抱強く聞けるほどには気が長いほうではなく、かといって口を挟んだところで出てくるのは「ジャージくらい脱げよアンタ」とか「人のことを呼びつけておいて寝床でぬくぬくご満悦かどんだけ偉いんだアンタ」などの辛辣で辛うじて重なっていく話の腰を真っ二つにぶった切る言葉でしかないのをよく知っているので、(もっとも今はそんなものすら出てくるのかは怪しかったのだけれど)妹子はその枕もとに座って太子に喋らせておく。決定的に意味の解らない部分はあえてそのまま流す。水に流すみたいにつるりと流して、こみあげるものとやらがやはりつるりと出てくるまで。常ならばこれで全てがうまくいっていたのだが、今夜はその常ではないようだった。)

最初はね、全部話そうともおもったんだ。
誰だってそう思うよな、かざりけのないはだかの自分をみてくれ?はは、そう青臭くも。思ったんだ。最初は。全部、ぜんぶ。
でもな、私ってほら、頭いいだろう?何だ、今日は自分で言うなって言わないんだな、とにかく。
でも全部って何だろう?
私、私の名前、私の立場、私の地位、私の権力、私のちから、わたしの、わたしの。よわさ汚なさにくしみ打算、自分本位に自己欺瞞、偽善老獪アイデンティティー?
それはもう言葉じゃないだろ臓物みたいにグロテスクでいやなにおいのするひとひとりを構成する何かで、そんなもん人間ポンプよろしく全部ゲロゲロ吐き出したらお前引くだろむしろ逃げるだろ私がお前ならダッシュで逃げる勝手だな、ははははは。
いや、いっそそのほうがいいな逃げてくれ、振り向かないで、私はただお前の前で吐き出してそれで満足するのだろうからお前はそれを見つけたら走って逃げるといいよ。振り向くな、立ち止まるな、走って、腐ったにおいが届かないところまで走ってくれ。たぶん心をさらけ出すっていうのはそういう事なんだと私は思う、だから。
ああこんなことを言うのもきっと私の打算なんだろうな、こう言ってしまうことで私はお前の選択肢を削り取っているんだろうな。切れない刃でむりやり削るみたいに、がりがりと、醜い引き攣れを残して。
逃げてくれ、逃げてくれ、私から、お前は。

(太子の言うとおりその「逃げろ」が「逃げないでくれ」と同義であったにせよ妹子はそこで逃げるべきだったのだ。事実太子のいう臓物のようなグロテスクなものそのものこそ見なかったにせよ、それに近いものは既に何度か彼を痛めつけていて、彼はもうほんとうに辛くなっていて、「辛いと幸いは似ていますね」、だなんてつまらない事しか言えなくなっていて、しかし其れ故か妹子の足は動くことなく、ただ太子の枕もとに座り続けるしか出来なかった。妹子を逃がさなかったのが何という名の感情だったのかは妹子本人にも解らなかったのだが、逃げられはせず手も伸ばせず中途半端な立ち位置で妹子は踏みとどまっていて、それが彼を、ひいては彼らを良い方向に導かないであろうことは火をみるより否をみるより明らかなのであった。)

逃げないんだねお前。私はそこにつけこめる程度にははっきりと汚いんだ、ならば私はさらけだすよ、お前の前にこのちなまぐさい汚泥を全て。震えているな、辛いんだろう?すまない、それでもつけこむよ。ほら、私は起き上がった。今お前の顔をこうして覗き込んでいる。お前の目の中に私が見えるよ、私の目の中にはどうだ、濁ってお前を探せないか?腕を持ち上げた、こうやって、手を伸ばして、お前逃げないのかい?為すが侭に為すが侭に、震えているな、辛いんだろう。
お前が言うとおり辛いと幸いは確かに少し似ているな、お前がそんなに辛そうなのが私は幸せでたまらないよ。こんな私をお前は外道が、と罵るかい?さあ妹子、私の手は。お前を。

(「本当はあなたが逃げたいくせに」と妹子は思ったが、口には出さなかった。言葉に組み上げた瞬間に、それは微妙に違う何かに変貌してしまいそうな、それは雪と霙のような本当に微妙だけれど決定的に違う何かに変化してしまいそうだったからだ。太子の目は雪がもたらした半端な薄闇の中でもはっきり解るほどどす黒く濁っていて、その濁りの中にははっきりと妹子が映りこんでいる。その目がこころなし潤んでいるようにみえるのは自分が震えているからなのだろうと妹子は思ったし、そして事実何割かはそうだった。球体に映りこんだ物体が全てそうであるように、奇妙に曲線を帯びた己の顔にやはり曲線をおびた細い蒼白いかさかさの皮を骨の上に直接ぴんと張ったような腕が近付くのが解って妹子はそれをそれ以上見ていることが出来ず、まぶたを閉じた。)

私の言葉は。お前を。

(妹子は目を閉じていたので見ることはなかったのだが、(そして絶対に閉じているべきではなかったのだが)それまで割れた茶碗のように無表情だった太子の顔に、強いてあげるなら笑みであろうひずんだ家に似た何かが浮かんだ。それは全く恐ろしいもので、もし妹子がそれを見ていたら彼は太子を突き放すか、立ち上がり踵を返して駆け出すか、つまりは逃げていた事だろう。しかし妹子は目を閉じていたのでそれは仮定でしかなく、既に起きてしまった現実に仮定はありえないのでまさしく仮の話でしかないのだが。)


つかまえ、た。